や
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やおやおしち【八百屋お七】
江戸本郷追分の八百屋太郎兵衛の娘。(1666?〜1683)
天和二年(1682)十二月の大火で焼け出され、避難した駒込正仙寺で、寺小姓生田庄之助と恋に堕ちる。
自宅が再建して帰されたが、火事になれば再会叶うと恋慕のあまり放火する。
天和三年(1683)三月二十九日鈴ヶ森で火あぶりの刑に処される。
生田庄之助を小姓吉三として浄瑠璃や歌舞伎に脚色された。 「―‐を見ろい。(強情灸)」
やかたちゃぶね【屋形茶船】
屋根をそなえた川遊び用の茶船。屋形船。
やかたぶね【屋形船】
屋根の形をしたものをそなえ、海辺や河川での遊覧に貴人が用いた船。江戸時代以降は賃貸のが現れた。
江戸では小型のものを、屋根船と区別して呼んだりする。屋形茶船。
やきしお【焼き塩】
素焼の壺に入れて蒸焼きにした塩。また、煎った塩をもいう。
「―‐というものを売ってたもんですな。(泣き塩)」
やくし【薬師】
薬師如来の略。 「茅場町の―‐様へ信心をして、(心眼)」
やくしにょらい【薬師如来】
人々を病苦から救うとされる如来。左に日光菩薩右に月光がっこう菩薩を従え三尊をなす。
図像は、左手に薬壺を持つ姿が多い。朝観音・夕薬師といわれ、庶民の信仰が厚い。
やさかじんじゃ【八坂神社】
京都市東山区祇園町北側にある神社。
古くは祇園社と称したが、慶応四年(1868)八坂神社と改称。
祇園会の例祭で知られる。
やさかにのまがたま【八尺瓊勾玉・八坂瓊曲玉】
三種の神器さんしゅのじんぎの一。大きな玉で作った曲玉。
やし【香具師】
祭や縁日、或いは人通りの多い大道などで、見世物や、口上をのべての品物商いを業とする者。
露天商。てきや。
やしま【屋島】
香川県高松市北東部にある島山。かつての島が陸繋して半島となる。
海抜292メートルの山頂は平坦な溶岩台地で屋根形をなす。屋島の戦いで知られる。
「―‐の合戦壇ノ浦になりまして。(源平)」
やしまのたたかい【屋島の戦】
元暦二年(1185)二月、屋島で行われた源平の合戦。一谷の戦に敗れた平家が屋島を拠とした。
源義経軍は阿波勝浦から陸路を屋島へと向かい、干潮時に陸続きとなった屋島へ騎馬を進める。
平家は内裏を捨て、海上へと逃れたが、夜が明けて源氏の数が少ないことに気付き反撃に出る。
激しい戦いが二日続き、平家は瀬戸内海を敗走し壇ノ浦へ逃れる。
佐藤継信の死・那須与一の扇の的・義経の弓流し・平景清と美尾谷十郎の錏引きなどの伝説も残る。
やしゃ【夜叉】
人に害を与える鬼神である反面、財宝神とされる神。「外面似菩薩、内心如―‐げめんじぼさつないしんにょやしゃ」
やすいどうとん【安井道頓】
安土桃山時代の土木家。豊臣秀吉に仕え、大坂城の築城および掘割開削に貢献。(1533〜1615)
やすけ【弥助】
鮨すしの異称。 「変わり台は―‐が入るから。(とんちき)」
浄瑠璃「義経千本桜」で、鮨屋弥左衛門のところへ平維盛たいらのこれもりがかくまわれたところからの称。
やたて【矢立】
1)矢を立てて入れる道具。
2)「矢立の硯すずり」の略。出陣の者が、小型の硯、筆、墨、小刀などを入れ携行した小さな硯箱。
3)墨壺に筆を入れる筒を付け、腰に差して携行する筆記具。
やたのかがみ【八咫鏡】
日本神話で、天照大神あまてらすおおみかみが天の岩戸に隠れた時、石凝姥命いしこりどめのみことが作ったという鏡。
三種の神器さんしゅのじんぎの一。伊勢神宮に祀られる。 「―‐が紛失して、(出世の鼻)」
やつはし【八橋】
1)湿地などで、幅の狭い板を数枚並べ、折れ折れに継ぎ渡した橋。
2)八橋織の略。
3)八橋煎餅の略。
やつはしおり【八橋織】
斜紋織しゃもんおりの技法で、四角形の市松模様を織り出した綾織物あやおりもの。
やっちゃば【やっちゃ場】
青物市場。
やどがえ【宿替え】
引っ越し。転居。転宅。
やなか【谷中】
東京都台東区北西の一地名。谷中墓地(谷中霊園)があり、現在でも多くの寺が存在する。
やなぎかげ【柳影】
直し酒。なおし。 「―‐じゃによって、やってごらん。(青菜)」
やなぎばし【柳橋】
東京都台東区の神田川が隅田川に合流する手前に架かる橋。また、その橋の北側一帯の地名。
江戸時代は吉原、深川通いの船が発着し、船宿が集中し、花街として栄える。
「―‐から船で急がせ。(墨田の馴れ初め)」
やなぎわら【柳原】
東京都千代田区の一地名。万世橋から浅草橋に至る神田川沿いの繊維問屋街。
江戸時代から多くの古着屋が並んでいた。 「―‐で白無垢を二枚買うつもりが、(品川心中)」
やぬし【家主】
1)貸家の持主。いえぬし。大家。
2)一家の主人。戸主。
やねぶね【屋根船】
猪牙船程度の小舟に屋根を設け、夏は簾、冬は障子で囲って、川遊びなどに用いた茶船。
江戸で大型の屋形船と区別した呼称。上方では小さな物も屋形船と呼ぶ。日除船。
「―‐が一艘客待ちをしておりまして。(野晒し)」
やばせ【矢橋】
滋賀県草津市の一地区名。琵琶湖の南東岸に位置し、かつて湖東地方でとれた近江米の出荷地として栄えた港。
近江八景の一として知られる旧湖港。
やばせのきはん【矢橋の帰帆】
近江八景の一。矢橋の港に、白帆を連ねた船の列が帰り来る琵琶湖の夕景。
やぶいしゃ【藪医者】
本来は野巫やぶ医者で、呪術を用いる医者の意という。 医術のつたない医者。
藪、野夫などを当てて、田舎医者をあざけったものともいう。
落語では風邪(風)でもなければ静かなので藪。その下はこれから藪になるの意で「竹の子医者」。
やぶいり【藪入・家父入】
奉公人が、盆と正月に休暇を貰って、親元などに帰ること。また、その日。
やぼ【野暮】
1)世情に疎く人情の機微をわきまえないことや、さま。また、その人。遊里の事情に通じないことにもいう。
「―‐でも商人あきんどの番頭は勤まりますから。(山崎屋)」
2)洗練されていないこと。また、そのさまや、そのような人。
やまざき【山崎】
京都府乙訓おとくに郡大山崎町と大阪府三島郡島本町にまたがる地区の旧称。
西国街道の宿場町。「―‐街道」
やまざきかいどう【山崎街道】
山陽道のうち、京都府九条から兵庫県西宮までの街道。西国街道。
やまのかみ【山の神】
山を守り司る神。神は女とされ男根を祀る。転じて自分の妻を卑下した呼称。
やまのしゅく【山の宿】
東京都台東区花川戸一丁目と二丁目にまたがる地区の旧町名。
昭和九年(1936)までは浅草区花川戸の隅田川沿い西側に隣接しに接する地域の町名。
隅田川には本所区中之郷への渡船、山の宿の渡しがあった。 「―‐から花川戸、(文七元結)」
やまてのばかひと【山手馬鹿人】⇒おおたなんぽ
やまぶきでんせつ【山吹伝説】
太田持資が鷹狩りに出て雨に遭い、ある小屋へ入って蓑を借りたいと言うのに若い女が物も言わず山吹の花を
一枝折って出したので「花を求めたのではない」と怒って帰る。
これを聞いた人が「それは、七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しきと言う古歌に託したのだ」
と言う。持資は驚いて、一層歌の道に精進した。
落語道灌はこの伝説を踏まえた話だが、この伝説を庶民に広めたのも道灌だともいえる。
この伝説に出て来る古歌は、後醍醐天皇の皇子兼明親王かねあきらしんのうの歌で「みのひとつだになきぞあやしき」
やまぶきのさと【山吹の里】
太田持資と紅皿べにざらの山吹伝説から、多くの場合、東京都豊島区高田1丁目付近をいう。
古くは都電荒川線面影橋付近から、江戸川橋通りと早稲田大学正門通りが交差する
新宿区山吹町付近までの神田川沿い一帯の称ともいわれる。
「―‐というから、今の牛込あたりを歩いていた。(道灌)」
やもり【家守】
江戸時代、土地や家屋の所有者に代ってそれを管理し、自身番に詰め町用を行った者。大家。差配人。
やりて【遣り手】
1)郭で遊女を取り締まり、客との仲を取り持つ女。
「―‐と言っても欲しがるばかりで何もくれない。(居残り佐平次)」
2)腕前が達者な人。
やろうかぶき【野郎歌舞伎】
野郎頭の役者が演じた歌舞伎踊。承応元年(1652)若衆歌舞伎が禁止された後を受けて起ったもの。
前髪を剃り落して野郎頭とさせたことから名づける。
ゆ
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ゆうかく【遊客】
1)正業が無く遊んでいる人。遊び人。
2)遊覧の客。
3)遊郭で遊んでいる男。
ゆうかく【遊郭】
遊女屋を集め周囲を囲った区域。郭。遊里。傾城町。
ゆうき【結城】
1)茨城県西部の市。結城紬の産地と知られる城下町。
2)結城紬の略。
3)結城木綿の略。
ゆうきつむぎ【結城紬】
結城産の絹織物。藍染めの絣かすりや縞柄が主。結城。
ゆうきもめん【結城木綿】
結城紬の柄を真似て織った綿織物。結城。綿結城。
ゆうげい【遊芸】
遊びに関した芸能。落語・講談・浪曲・謡曲・俗謡・舞踊・琴・三味線・尺八・笛・鼓・茶の湯・活花・香など。
ゆうげいにん【遊芸人】
遊芸を演じることを業とする者。
ゆうげいかせぎにん【遊芸稼人】
寄席の演芸や座敷芸を業とする者。遊芸稼人の鑑札がなければ営業ができなかった。
現在は略して芸人と呼ぶ。
ゆうじょ【遊女】
酒宴を歌や踊りで盛り上げ、枕席を共にする職業の女。
遊郭が官許されて以降、公娼、私娼の総称。
ゆうじょう【祐乗】
初代後藤四郎兵衛。 「―‐、宗乗、光乗、三作の三所物みところもん。(錦明竹)」
ゆうじょや【遊女屋】
遊女を置いて客を遊興させる家。女郎屋。妓楼。
ゆうり【遊里】
遊女屋を一定の区域にまとめた所。くるわ。遊郭。いろざと。
ゆぐ【湯具】
入浴時に用いた腰巻き。ゆもじ。
ゆな【湯女】
温泉宿で入浴客の世話をする女。風呂屋にいた遊女。風呂屋女。
ゆみながし【弓流し】
屋島の戦の最中源義経が弓を海に落とし、義経は戦いながらこれを拾ったと伝わる。
弓よりも命を大切にという家臣に、源氏の大将がこんな弱い弓を使っているのかと嘲られては恥と言った。
ゆみはりぢょうちん【弓張提灯】
竹などを弓のように曲げ、両端に提灯の上下を引っ掛けて張り開くように造ったもの。
ゆもじ【湯文字】
湯具の湯に文字を付けた女房詞。 「その―‐ですが、一尺の丈で、(鈴ふり)」
ゆや【湯屋】
銭湯。公衆浴場。風呂屋。 「―‐へ奉公?うれしいね。(湯屋番)」
よ
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よいかんじょう【宵勘定】
郭で初会の場合に、宵のうちに支払う前勘定。 「―‐で若衆さんが書付つけを持って。(大神宮)」
よいちかい【余一会】
寄席で三十一日に行われる一日限りの興行をいう。
一ヶ月の興行は上席、中席、下席と、各十日単位で行われる。
三十一日まである月は一日余るので余一会と呼ぶ。
よいちべえ【与市兵衛】
仮名手本忠臣蔵の人物。寺岡平右衛門とお軽の父で早野勘平の舅しゅうと。
斧定九郎に山崎街道で殺され、お軽を身売りした五十両を奪われる。
よいしょ
持ち上げる掛け声の意。相手の機嫌をとっておだてること。
ようきょく【謡曲】
能楽の歌詞文。また、それを謡うたうこと。
よこやそうみん【横谷宗a】
江戸中期の彫金師。(1670〜1733)
代々後藤家の下地師。宗aに至って精密な技法と写実的意匠により、彫金の名人となる。
「―‐四分一拵え小柄付きの脇差。(錦明竹)」
よこやまちょう【横山町】
東京都中央区にある町名。日本橋横山町の略。馬喰町の南に隣接する問屋街。
江戸時代、馬喰町の宿屋に宿泊する商人に対応する店が増加していき、問屋街として発展。花火屋鍵屋があった。
「―‐三丁目で山崎屋と言えばあたしのうち。(山崎屋)」
よしかわちょう【吉川町】
東京都中央区東日本橋にあった旧地名。両国橋の西詰め、両国広小路。花火屋玉屋があった。
よしこのぶし【よしこの節】
囃し声を「よしこの」と掛けたところからいう俗謡の一。潮来節が変化したもの。
都々逸節に近く、歌詞も普通七・七・七・五の四句二十六音からなる。
よしず【葭簀】
葭を編んで作った簀。日除けなどに用いる。 「―‐張りの掛け茶屋がずうっと並んでます。(高田馬場)」
よしちょう【葭町・芳町】
東京都中央区日本橋にあった一地区。現在の人形町一〜三丁目内に位する。
芳町は日本橋芳町の略。葭町は芳町の旧地名で堀江六間町の通称。桂庵や男色を売る店が多かった。
「―‐の桂庵へでも行ったようだな(羽織の遊び)」
よしつねせんぼんざくら【義経千本桜】
延享四年(1747)竹本座初演の浄瑠璃。
源義経と静御前との愛に、平家の落人等を配し、佐藤忠信まで絡ませた作品。歌舞伎でも演じられる。
よしの【吉野】
奈良県南部の地名。吉野川流域の総称。古来、吉野桜の名所。
「鼻が見たけりゃ―‐へござれ(鼻利源兵衛)」
よしわら【吉原】
1)幕府公認の遊郭。元和三年(1617)江戸の各地に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町へ集めたのが始まり。
葦よしや茅かやが生い茂る土地であったところから、葭原よしわらと呼称。吉原の字を当てる。
日本橋の遊郭は明暦の大火で焼失し浅草千束へ移転。日本橋を元吉原、浅草を新吉原と称して区別。
吉原遊郭三百四十年の歴史のうち、元吉原は四十年、新吉原は三百年で、吉原は新吉原の一般的呼称。
遊郭は昭和三十一年(1956)売春防止法により廃止。
「若旦那は―‐という処を見たことはないけれど、(明烏)」
2)静岡県東部の一地区。東海道五十三次十四番目の宿場町。
よしわらかぶり【吉原被り・吉原冠り】
手拭いを横二つ折にして頭に乗せ、二つの端を髷の後ろで結んだもの。
遊里の芸人が多く用いたところからいう。 「手拭いを―‐にして。(茶金)」
よしわらさいけん【吉原細見】
江戸吉原の遊郭の遊女屋、遊女、位付け、芸者、揚げ代、紋日、茶屋、船宿などを明細に記した案内書。
「―‐などというものがありまして、(山崎屋)」
よしわらたんぼ【吉原田圃】
新吉原の遊郭から見て、山谷堀対岸の田圃。 「俗にこれを―‐といいまして、(首ったけ)」
よせ【寄席】
落語・講談・浪曲など、大衆芸能の興行場所。 「ふだん―‐へ通っているせいだ。(かつぎや)」
古くは寄せ場と呼ばれた。「ひとよせせき」「よせせき」「よせ」と詰まり。現在は「よせ」が一般的な呼称。
寛政十年(1798)岡本万作が神田に設けた落とし噺の寄せ場が最初と言われている。
よせあんどん【寄席行灯】
寄席の表に出す灯り入りの看板。
よせば【寄せ場】
1)寄席に同じ。
2)人足寄せ場の略。
よせばやし【寄席囃子】
出囃子や地囃子など、寄席で演奏されるお囃子の総称。
よせもじ【寄席文字】
橘右近が大成させたビラ字。
よた【与太】
1)知恵の足りない者。愚か者。役立たず。
2)でたらめ。ふざけたことば。くだらない冗談。「―‐を飛ばす」
よたか【夜鷹】
1)夜間に街頭へ出て客を引く売春婦。
2)夜鷹蕎麦の略。
よたかそば【夜鷹蕎麦】
夕方から深夜まで屋台を担いだりひいたりして売り歩く蕎麦屋。また、その蕎麦。夜鳴そば。よたか。
よたげた【与太下駄】
客の入りが少ないとき、客がいるように見せるため下足に何足か並べた関係者の履き物。
よたろう【与太郎】
愚か者。馬鹿者。落語で知恵の足りない者の名前とする。
よってくだんのごとし【因って件の如し】
前記の通りであるの意。書状や証文などの最後に書く語句。 「酒を呑んだら―‐か。(垂乳根)」
よつめや【四つ目屋】
江戸両国にあった淫薬・淫具の専門店。長命丸という媚薬で知られる。
「両国に―‐という店がございます。(鈴ふり)」
よつやかいだん【四谷怪談】
東海道四谷怪談の略。塩冶家の浪人民谷伊右衛門が伊藤喜兵衛の孫お梅に恋され、
女房のお岩と家伝の薬を盗んだ小仏小平を殺害し、戸板の両面へ縛り付けて流す。
怪談話の代表作。
よどがわ【淀川】
琵琶湖を水源とする瀬田川が京に入り宇治川、大坂の淀から大阪湾に注ぐ流域を淀川と呼ぶ。
よどや【淀屋】
元禄時代の大坂の豪商で本姓岡本。初代は元材木商常安じょうあん。
淀川の築堤工事で巨額の利益を得、大坂冬の陣で徳川方を支持し、家康より名字帯刀を許される。
二代目言當げんとうは、米の先物取引、糸割符いとわっぷ゚などで、淀屋を豪商へとのし上げた。
五代目辰五郎が継いで三年目、驕奢きょうしゃを理由に闕所けっしょされる。
よどやげんとう【淀屋言當】
元禄時代の大坂の豪商淀屋の二代目。ことまさともいう。个庵こあん。玄个庵げんこあん。
徳川家に申し出で米の先物取引を行い。これにより大阪市場の元となる、米市、魚市、青物市を実現させる。
また、江戸にしか無かった糸割符いとわっぷ゚の権利を得るなど、淀屋を豪商へとのし上げた。
よどやこあん【淀屋个庵】
元禄時代の大坂の豪商淀屋の二代目及び四代目。二代目は言當げんとう四代目は重當じゅうとうという。
よどやこうとう【淀屋廣當】⇒淀屋辰五郎
よどやじゅうとう【淀屋重當】
元禄時代の大坂の豪商淀屋の四代目。しげまさともいう。个庵こあん。
重當の代には、大阪以西の大名は、大名貸しの借金が無いと言われるほどの豪商となり、驕奢きょうしゃに耽る。
幕府はこの頃から、淀屋の闕所けっしょを狙っていたものと考えられる。
よどやじょうあん【淀屋常安】
初代淀屋。元材木商で、文禄三年(1594)豊臣秀吉伏見城築城の折、淀川の築堤工事を請け負う。
巨石が散在する難工事で請け負い手がなかったが、穴を掘り巨石を埋設する工法で完成させたと伝わる。
大坂冬の陣では徳川方を支持。夏の陣後、功績により惣年寄の地位を得、やがて屋号を淀屋とする。
よどやたつごろう【淀屋辰五郎】
元禄時代の大坂の豪商淀屋の五代目。通称三郎右衛門。廣當こうとう。ひろまさともいう。
宝永二年(1705)淀屋を継いで三年目、奢侈しゃし禁止令に背いた廉で、闕所けっしょの上、三都所払いになった。
「淀屋橋の町人、―‐と申しまする者で、(雁風呂)」
よどやばし【淀屋橋】
大阪の土佐堀川に架かる橋で、御堂筋の北区と中央区を結ぶ。
淀屋常安が米蔵や米市の往来のために架けたのが始めといわれる。
現在の橋は昭和十年(1930)に架け替えられた。 「―‐の町人、淀屋辰五郎と申しまする者で・・・(雁風呂)」
よなき【夜鳴】
夜間に商いをすること、またその人。
夜鳴蕎麦、夜鳴饂飩の略。
よなきうどん【夜鳴饂飩】
夕方から深夜にかけ、屋台を担いだりひいたりして売り歩く饂飩屋。また、その饂飩。
よなきそば【夜鳴蕎麦】⇒よたかそば
よねざわひこはち【米沢彦八】
江戸時代中期、大阪の生玉社境内を中心に活動した落語家の祖。(生没不明)
よばい【婚】
1)求婚すること。言い寄ること。
2)後に「夜這」の字を当て、夜、恋人の元へ忍んで行くこと。特に、男が女の寝所へ忍び込むこと。
よものあから【四方赤良】⇒おおたなんぽ
よろずばし【萬代橋】
中山道の神田川に架かっていた橋。明治六年(1873)筋違すじかい見付とともに、橋門に掛かる筋違橋も廃止。
その下流側に橋門の解体石垣で架橋された二重アーチ橋で、眼鏡橋とも呼ばれた。
明治二十六年(1893)現在の万世橋のやや下流に架橋された萬世橋よろずばしと同名で混同される。
一時、元萬代橋とも呼ばれたが、同年昌平橋と改名し、明治三十九年(1899)までこの地にあった。
よろずばし【萬世橋】
万世橋の古称。