常山紀談
江戸中期の儒学者、湯浅常山ゆあさじょうざんが歴史に残る人物の言行を著した、常山紀談じょうざんきだんの
「太田持資歌道に志す事」に、
太田持資が鷹狩りに出て雨に遭い、ある小屋へ入って蓑を借りたいと言うのに若い女が物も言わず
山吹の花を一枝折って出したので、
「花を求めたのではない」と怒って帰る。
これを聞いた人が
「それは『七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき』と言う古歌に託したのだ」と言う。
持資は驚いて、一層歌の道に精進した。
という意味の文があり、これが山吹の里として幾つかの地に残る伝説の元になったという。
紅皿欠皿
紅皿欠皿という民話は、欠皿という美しい姉を、継母と、醜い妹紅皿がいびり殺そうとするが、姉は
高貴な人に見初められて結婚するのが一般的である。
豊島郡高田村の伝説はこれとは逆に、いじめられる先妻の娘を紅皿、意地の悪い妹を欠皿と近所
の者が呼んでいる。
この紅皿が持資に山吹の花を差しだした少女で、持資は紅皿を側室に迎え、和歌を学び合う。
落語道灌はこの伝説を踏まえた話だが、この伝説を庶民に広めたのは落語の道灌だともいえる。
この伝説に出て来る古歌は、後醍醐天皇の皇子兼明親王かねあきらしんのうの歌で
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞあやしき」である。