伊達氏系譜


   (1)  (2)  (3)  (4)   (5)  (6)  (7)

朝宗  ― 宗村  ― 義広  ― 政依  ― 宗綱  ― 基宗  ― 行宗


※ここより  (8)    (9)      (10)  (11)  (12) 
  米沢領有→  宗遠  ― 政宗(儀山) ―  氏宗  ― 持宗  ― 成宗 ―

(13)   (14)   (15) (16) (17)    ※米沢から移封
     尚宗  ―  稙宗  ―  晴宗 ― 輝宗 ― 政宗(貞山) →(岩出山へ)

<昌伝庵の開創>   (本拠地を桑折から米沢へ)

                     ―米澤市史(1973年発刊)より― 


    伊達氏は、元々は常陸国伊佐庄か下野国中村庄出身らしく、後に今の福島県の伊達郡等を領有して
   いたが、1380年、伊達氏8世宗遠は長井広房を攻撃し置賜郡を略有した。当初は置賜領有の本拠
     
を高畑(高畠)城としていたようだが、その後米沢城(舘山城?)を本拠とするようになったらしい。

    17世政宗は独眼龍と呼ばれ米沢で生まれ育った。後に豊臣秀吉により、1591年、今の宮城県
   古川市の北西に位置する岩出山城に移封された。(政宗が24歳のとき)
      関が原合戦後1601年、政宗は仙台に大城下町を造営。米沢時代を偲ばせる町名そして伊達氏の
   菩提寺などが配され、米沢のあら町に昌伝庵があったように、現在も仙台市の荒町に昌伝庵がある。


 必見!  伊達氏の、「置賜領有」と「歴代領主」の詳細のページへ



          昌伝庵関連の年表








安土
桃山












1333年

1335年

1360年

1505年

1508年

1539年

1591年

1601年

1746年

1793年

1919年

1942年

1959年
1969年

1974年

1979年
1981年

1989年
1992年


 三浦大夫判官遠江守盛員、鎌倉片瀬で討死。

(会津に正伝庵を建立)
 大日如来坐像製作される。(寺との関連は謎)
 伊達13世尚宗公3男久松丸死去。

 昌伝庵を当時のあら町に建立(今の東高校付近)

 伊達14世宗公4男玄蕃丸死去。

 伊達政宗、米沢から岩出山へ移封される。

 米沢城下改造。(昌伝庵あら町→現在地へ?)

 本寺大芸寺廃絶→白鷹町瑞龍院預り末寺に

 6月20日、雷火で焼失。1806年再建。

 5月19日。大火で焼失。1923年再建。

 現在の庫裏が完成。

  開山堂(位牌堂)建立。
  参道融雪工事。コンクリート舗装。
 大日堂再建される。(55年ぶり)

 檀信徒会館完成。
 本堂内部整備(天井工事)

 下水道敷設工事。
  本堂屋根トタン葺き替え工事。


鎌倉幕府が、足利・新田軍に
より
滅ぼされる。尊氏、室町
幕府を開く。



米沢は蒲生郷安の統治下に。
米沢は上杉氏の領地に。伊達
政宗仙台城へ入る。



     

昌伝庵は伊達氏ゆかりの寺です



  
                            江戸時代の古図 … 宝暦13年(1764年)の「東町水帳」 


   

   

           〔 由 緒 〕       〔大日如来座像〕           伊達氏の年表へ