上山市を流れる須川を遡ると菖蒲という集落がある。ここは管理人父の出身地である。山に囲まれた田舎だが、昔は結構大きな集落だったらしい。菖蒲では須川と菖蒲川が合流する。須川の奥には映画で有名になった古屋敷村などもある。
菖蒲川を遡ると菖蒲川ダムがあり、その先には田んぼを転用した釣堀も見られる。さらに奥へ進むと砂利道となり錆びた施設跡が見える。そして林道を延々と登ってゆく。かなり登っていくと「芦刈不動滝」案内板がある。この滝の傍には「芦刈山不動明王堂」があり、次のようないわれがある。
1747年(延享四年)小蔵沢の吉助が山深く入り働いていると山林を揺るがす強風が吹き、不動明王が現れて言った「この地は芦刈といい、わしはここの三層の滝の険しい岩上に座している不動明王である。煩悩の多い人間の来るところではない、すぐ村里へ帰れ。」すると不動明王は紫の煙の中に姿を消した。吉助は家に帰り、どうしたものか思案したが、時が流れ吉助は亡くなる。吉助の息子の吉兵衛、その子の吉十郎と代がかわり、吉十郎は二人の息子とともに芦刈山一帯に杉の植林を行う。ところが吉十郎は病にかかり、薬を用いても全治しないので、困って瞽女(オナカマ)に問うて、聖地に鄭重に謝罪したところ病が治ったという。また菖蒲の与兵衛は眼病を煩っていたが、不動明王を信仰したところ眼病が全治し、これは不動明王のご加護であるとして1828年(文政十一年)、この地に不動明王堂を建立したという。
案内板の所から森の中に分け入り、わずかに草が無いことをたよりに道をおりると「不動滝」が見えてくる。
少し林道を登ると日当たりの良い場所に出て「芳刈放牧場」の牧草地が見える。その先のゲートで蔵王エコーラインに合流する。。 |