平塩熊野神社

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平塩の地名の由来となった塩泉。平塩舞楽が伝わる平塩熊野神社。

寒河江市平塩には数箇所の塩泉があり、古くから内陸塩の産地であった。この塩水を蒸発させ、塩を冷やしたことから「冷や塩」、のちに「平塩」になったという。明治以降も塩製造が行われ、太平洋戦争中は電気分解で一日15kgの塩を生産したという。
この平塩地区の熊野神社は養老五年(721年)行基によって勧請されたという。明治の神仏分離令で神社となったが、それ以前は神仏混淆で山寺、慈恩寺、谷地八幡宮と同様に林家によって舞楽が伝えられ、奉納されていた。天正五年(1577年)頃に舞楽の奉納は林家から平塩の人々の手に移った。後に途絶えたが明治十四年に復活した。太平楽、蘭陵王など十番が伝わる。この「平塩舞楽」は四月三日の祭典で奉納される。

 

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