柏倉家住宅

柏倉家の門延々続く柏倉家の壁。

(写真左:柏倉家の門)(写真右:延々続く柏倉家の壁。)

柏倉家はもともと山形市柏倉の武士だったともいわれ、最上家が改易となったために帰農して承応二年(1653年)頃、この地に移って代々農地を拡大した。山形藩主堀田家は柏倉九左衛門を大庄屋に任じた。以後も大地主として財をなし、明治三十年には(株)長崎銀行を設立するほどだった。その邸宅は敷地四千坪、建物三百六十坪で大庄屋時代の面影を残し、県指定有形文化財となっている。