不思議な「合気」体験の話

平成17年3月
 私が今やっている合気道は、元々は会津藩に伝わる大東流合気柔術が元になっている。

 幕末の安政5年(1859年)、会津坂下に生まれた竹田惣角翁は、その会津藩に伝わる合気柔術を伝承し、警察官等を中心に全国に指導して廻っていた。
 そのお弟子さんの一人である佐川幸義翁はその「合気」を伝承し、触れただけで相手を投げ飛ばす、不思議な「合気」を使う達人であった。
 佐川先生については、10年以上も前だったか週刊誌で紹介されたことがあり、私もそれを見たことがある。ちょっと身体を動かしただけで相手を軽く投げ飛ばしてしまう不思議な体術を使う武術家であった。写真も載っており、週刊誌の記者の体験談もあったが、訳の分からないうちに飛ばされてしまうということであった。
 
 佐川先生は平成10年に95歳でお亡くなりになったが、その「合気」を伝承しているお弟子さんが関東地方におられる。
 今回、わたしはそのお弟子さんのK先生にお会いし、合気に関するお話をお聞きし、稽古を一緒にさせていただける機会を得、そのすごい「合気」を体験させていただいた。

 60歳前の年齢で、私よりも小柄な方である。
 その両腕をつかむと、ほんの少し動かされただけで身体が後ろに飛ばされてしまった。
まるで、相撲取りが体当たりしてきたような衝撃を受けたのだった。
 「すごい力だ」と思ったが、しかし、これは筋肉による力ではない。両腕の筋肉は全く張らずに、フニャッとしていて力みが無い。それなのに、である。
 つかんでいる両腕を通して私の力が知らないうちに抜かれ、私の身体全体に衝撃が走り、操られてしまうという「不思議な力」である。
 そのうち、先生は指1本で私を押して飛ばしたり、服だけをつかんだままで投げるという技を披露してくださった。服だけしかつかんでいないのに衝撃が伝わってきて、投げ飛ばされるという合気で、常識では一切考えられない「力」である。
 その後、座捕り6本を教えていただき、また黒帯の方達とも稽古させていただいたが、肩に力が入ったり力んだりしては絶対に駄目で、力を抜いて技を掛けなければ効かないし、不思議にも力を抜いたほうが技が効きやすいという事を、改めて実感させられた。
 故佐川先生やK先生に習える環境にある人は本当に幸せだと思った。

 故佐川先生の語録にも、「教えてもらったからといってできるものではない。かなりの鍛錬を通して自分で会得しなければならない。」 (K先生の著書より) とある。

 この語録には、自分の力を鍛錬するための大事な教えが実にたくさん隠されている。
 例えば、
「昔は先生はやって見せるだけであまり教えなかった。皆必死で修業し吸収しようとした。」
「あまり教えすぎるからできないのかね。」
「やるべきときにやらねば駄目だ。時機を失しては駄目だ。 あとからではもう遅いのだ。」
「人に頼ってはいけない。人が自分を強くしてくれるわけではない。自分の工夫や努力で強くなっていくのだ。」

 合気は自分自身で習得していくべきもので、人には簡単に教えられないし、例え教えたとしても、その後の修練が無ければ何年経っても絶対に会得することはできないのである。

                    持    論  (教師として)

 この話は今の教育現場にもよく通用することであり、無くしてはいけない重要事項がある。
 児童生徒の学力を高めたり、教育を司る場合に実に重要だと日頃思っていることがある。

 臨時教員時代を含めると、今まで12ヶ所の学校などを廻り、また教師をはじめ様々な方たちと過ごさせていただいた。   学校、教師、PTA、地域・・・。
 振り返ってみると、学力を高めたり良い教育をしているなあと思える教師には、やはり「自分の力」を養成して持っている人が多い。安易に人に頼らずに、自己の解決力をつけている。
 逆に、他人に頼リ過ぎたり、できないのを他人のせいにしたがる体質の人は、やはり・・・。
学力だって、むやみやたらに教え込もうとしても駄目で、日頃の鍛錬や工夫が必要である。
 これは教師だけには限らないことだが。

 担任していた頃は子供達から「先生、先生」と頼られ、教頭となった今は先生方から「教頭先生、教頭先生」と頼られ?る。
 頼られたり相談されたりすることは良いことではあるが、しかしその内容によっては自分がしなければならないことや、創意工夫が無くてただ安易に頼んでくる場合もある。
 子どもには、「どうすべきかよく考えてごらん。」などと、考えさせたりするのだが。

 「人にしてもらってばかりでは、自分の力は高まらない。」(佐川先生の語録他、多数)
 子どもも大人も、「生きる力」が必要になっている時代なのでしょうか。

 真の「合気」をつかんでいる人は(レベルにもよるでしょうが)日本には何人もいないだろうと思います。 江戸時代など昔の人の中には、もっと多くの達人がいたのだろうと思います。
 「文明は進化したかもしれないが、人間の心や身体は退化してきている」 と、合気を使うある武道家が言っていました。

 釈迦の教えにもありました。
           おのれこそおのれの寄る辺  おのれを置きて誰に寄る辺ぞ
           よく整えしおのれこそ      まこと得がたき寄る辺なり

 現代は、自己を整えるよりも他を非難したりして自己防衛する攻撃型の社会なのかもしれません。
 合気道の、「相手の力に逆らわず」融合させる。合気道は「和」の武道だという意味がなんとなく
少しずつ分かりかけているような気がします。
 合気に限らず、自分をよく鍛錬していかなければ、人間として進化することはできないのでしょうね。


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