元旦 今年は更に母親もいなくなり、 これが家族全員となりました。 左の長女は山形の会社に就職。 右の長男は大学を3月に卒業し、 本山に修行に行くと思います。 |
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正月3が日は、このようにして 檀家の方にお配りするお札等を ご祈祷いたします。 大般若経を読誦するので、早朝 1時間半はかかります。 今朝は、元旦には珍しく除雪を してからのご祈祷になりました。 |
年末から3週間以上の降雪で だいぶ雪が溜まってきました。 本堂の雪下ろしを頼みました。 住職も高校生の頃までは父と していたこともありますが、本堂 はとにかく面積が広くて大変でし た。私も本堂の屋根から、落ちた ことがあります。 命がけの作業です。 今年も何人も亡くなっています。 今朝の新聞にも、骨折や脳挫傷 の事故が記事になっていました。 |
長男の大学生活も終わり、 東京へ引越し手伝いに行って きました。 途中、長男がお世話になっ たお寺へご挨拶に参上しまし た。 |
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荷物が多少あるので、 車で行きました。 米沢は−9℃で,凍結路 の上を走ってきたのです が、東京は12℃で暖かく 梅も咲き始めていました。 上野に泊まって、夕食で 上野広小路あたりを歩いた のですが、雪も無く暖かく、 安くて美味しそうな食べ物 の店がたくさんあって、ここ に住む人々が羨ましく思い ました。 できることなら私も住み たい。 たった2日間の東京滞在でしたが、 今周りを雪に囲まれた、冷蔵庫の中 にいるような米沢の寒気が身に凍み ています。 |
昨年10月から 今年1月までの 結制修行が終了 したことを役職の 僧が調印し証明 する儀式です。 写真は首座和尚 (住職の長男)が調印 しているところ。 住職から円鏡を 授けられた首座は、 今月末、永平寺に 上山します。 |
長男が、このたび曹洞宗の大本山 永平寺に上山致しました。 これは、前日に門前で撮った写真 です。 北陸、福井市内は雪が無かったの ですが、ここに来ると結構ありました。 |
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右奥が永平寺です。 まず塔頭の地蔵院に到着して一泊し 明朝に山門頭に行くのです。 住職の私も、35年前の昭和51年 2月に上山して、2年半おりましたが、 まるで一転した別世界の苦行生活が 待っておりました。 もう門から外には出て来れません。 いつまで居るのかは分かりませんが、 己を磨いてきて欲しいと願っております。 |
3月11日(金) 午後2時46分 大地震が発生しました。 当寺院も、位牌堂の物が散乱し 壁や天井のゴミ等、数日間は掃除 に費やしました。 本堂の柱も、数箇所が抜けて 外れそうになりました。再度同じ ような揺れが来ては危険と判断し 仮に補強をしてもらいました。 |
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東日本(東北関東)大震災で被災されました殉難者の諸精霊に対し、 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 |
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3月21日、春彼岸中日の写真 です。 墓地はまだお墓の半分が雪で 埋もれている状態で、例年通りの 春のお彼岸の光景です。 大地震の時、お墓の3分の2が 雪で覆われていたせいか、灯篭 などの倒壊を免れたように思いま すが、雪が融けてみないと分かり ません。また今の時期は雪が沈む ときに灯篭の傘などを引っ張って いきますのでそれも心配です。 |
当寺の大般若経600巻は 江戸時代末期に住職だった 25世一山東傳大和尚直筆の 経巻です。 ほとんどのお寺の大般若経 は木版刷だと思いますが、この 大般若経は嘉永元年(1848年) から安政5年(1858年)にかけて 一人で書写されたものです。 一山東傳大和尚は、この書写 を終えた翌年に遷化されており ます。 |
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米沢市は大正時代に大火が 2度あり、後のほうの大正8年 5月19日昼の大火で、昌伝庵 も全焼したのです。 近隣の方々の手で大日如来像 や、この大般若経も運び出された のですが、惜しいことに、12箱中 1箱が焼けてしまい、中の20巻が 修復不能になっております。 この分だけを補充し、箱を新調 すれば、大般若会をすることがで きるようになると思います。 |
私が1年3カ月前まで勤務していた 松川小学校では、創立記念の日に 各学年ごとにミニ講演会を行います。 第5学年から招かれて、坐禅指導 と仏法的生活について触れてきたの ですが、前段の話が長すぎて肝心の 座る時間が短くなってしまいました。 …でも、まあ、椅子座禅も含めて座り 型を伝授したので、あとは自分での 日常での実践あるのみです。(汗) (写真は松川小からお借り致しました) |
今日はご先祖様がお帰りになる 日です。 昨年のお盆に設置した墓地灯が、 沈む夕日と共に赤く輝いています。 この時間になると点灯するのです が、夕日の色に似ているので撮影 してみました。 大きな灯明にも見えませんか? |
このスクーターは、家内が結婚前に 乗っていたのもので、約25年位前の ヤマハのミント。原付の50ccです。 ここ20年位はこれで回っています。 その前は自転車を使っていました。 しかし、さすがに私の体重を支える のには苦しそうで、そろそろ趣味の 400ccのバイクを処分して、原二の スクーターにしようかと思っています。 |
お盆が終わってから咲き始めた 夏水仙の花も、だんだん終わりに かかってきました。 今朝は長袖でないと寒いくらい で、いよいよ涼しい季節になって きます。 |
南相馬市の炊き出しの日に合わせ、あんこ餅等 を持って行ってまいりました。 青年僧侶達は震災直後から托鉢をし、これまで は三陸地方で支援活動をやっておりました。 |
国道6号線沿いには、いまだに津波で流され た漁船が何隻もそのままの状態で放置されて いました。2〜3km先の海岸では、住宅地は 全く無く、建物跡には花が供えられていました。 |
3月11日の大地震をはじめ、 その後の余震によって亀裂が 入った大日堂基礎の補修工事 が始まりました。 今年の修繕費は思わぬ事に 消えてしまいそうです。本当に 想定外のことでした。 |
今までの無縁塔を改造して、永代供養塔を 建立することにしました。 今までの無縁の遺骨は、右下の納骨堂に 納められていますので、中央に大きな納骨堂 を造って合祀する形式にします。 |
こちらは、独立した形の永代墓スペースです。 一人もしくは二人暮らしの方で、墓の後継ぎが いないので、大きな墓は要らないから永代に 祀って欲しいという方がおられるからです。 合祀形か独立形かを選んでもらうようにします。 |
米沢市街地循環バス 南回り路線の「本町」バス停です。 お寺の真ん前です。 路線は12月5日から運行 開始予定になっています。 |
今までの無縁塔を永代供養塔に改修しました。 右下の黒い石の下が無縁仏の納骨堂でした。 |
空いていた中央を大きな納骨堂として 合祀する形です。戒名を黒石に刻みます。 |
←点眼式(魂を入れる儀式) ここ数年、お墓の継続者が亡くなり 親族から、永代供養についての問い 合わせがくるようになりました。 そこで、今までの無縁塔を改修し 合祀型の納骨堂と個人の永代墓を 整備し、どちらかを選んで頂こうと 考えました。 |
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水子供養のお地蔵様と納骨堂です。 | こちらは、小さな永代墓 用地です。 |
雪が降り積もり始めてからもう1週間 | 今朝の車の様子です。 |