2002年2月11日(月)
ま、まちがえた
 けさも起きたのが8時。ホテルを出るのがどうしても
10時になってしまう。きょうも天気が良くない。

 まず、アンドレ・シトロエンさんのお墓参りをする為、もう一度モンマルトルの墓地に行く事にする(この時点でも、まだ間違いに気付いていない)

 8号線に乗り、「アンヴァリッド(
Invalides)」駅で13号線に乗り換え、ラ・フルシュ駅で降りる。墓地はこっちの方だと裏道を歩くが、入り口はどこだろうとガイドブックを見直してみる。すると、ガ〜ン。モンマルトルではなくて、モンパルナスの方だ。急いで引き返す。モンマルトルの墓地にも、フランソワ・トリュフォー監督など有名な人達がたくさん眠っているが、また今度にしよう。今度があればだが…。
ようやくご対面
 途中で乗り換えて、6号線の「エドガー・キネ(
Edger Quinet)」駅で降りる。『モンパルナス墓地』の入り口は、エドガー・キネ通りにある。

 途中で花屋さんを見つけた。やっぱりお墓参りをするなら花を買っていかなきゃと弟に言われ、何の花だか分らないが、赤と黄色の花を1本づつ買い求める。2本で
2.50E

 花束(束という程のモノではないが)を持って墓地の門をくぐる。やっぱ花束なんか持ってると、雰囲気出るなあ。ガイドブックを見ながら目的の場所を探す。モンパルナス墓地は一般道で2つに分断されていて、どうやらアンドレさんのお墓は向こうの墓地にあるようだ。

 一旦裏口から出て道路を横断し、隣の墓地に入る。しばらく探し回り、ようやく見つけることが出来た。墓石には“
FAMILLE Andre CITROEN”とある。あのシトロエン・ファミリーのお墓にしては、思ったより質素な感じだ。花を供えて、手を合わせる。幾らシトロエンの車が好きだからとはいえ、お墓参りまでする日本人は、そうざらにはいないだろう。ガイドブックに書かれていなかったら、僕も思いつかなかった。

 こちらの墓地はあまり暗い感じは無く、まるで公園を歩いているようだ。有名人のお墓めぐりというのも一興かと思う。ただ、あくまでも他人の家のお墓だから節度ある態度で、とは言うまでも無い。
【後日、地図をよく見てみると、このお墓から直線距離にして100メートル位の所に、ゆうべ来たカルティエ財団のビルがある事が分った。】
最後の見納め
 もう一度「レトロモビル」に行きたくなり、メトロでポルト・ドゥ・ベルサイユに向かう。会場は相変わらず人でごった返している。結局キーホルダーなんかを買っただけで、会場を出る。パリ滞在はきょうで終わりなので忙しい。
ポンピドーにもう一度
 きのう見られなかった「ジャン・ヌーヴェル展」を見ようと、再びポンピドー・センターへ行く。入り口前の広場では、大道芸人達のパフォーマンスが面白い。

 きのう行われていた手荷物の検査も、係員がいるのに、きょうは見ようとしない。なんていい加減な。中はきのう程ではないが、やっぱりたくさんの人だ。チケット売り場で、ジャン・ヌーヴェル展のチケットを買う。一人
6.50E

 この時、窓口の女性から荷物はクロークに預けてと言われた。言われた通りクロークに行くと、預かるのはバックパックだけで、普通のバッグは扱わないと言われてしまった。なんだか、よく分らんなあ。

 このビルの特徴でもある外に張り出したエスカレーターで、6階にある会場に向かう。エスカレーターは透明なチューブの中を通るようになっていて、眺めがいい。

 会場前の廊下の壁に大きな液晶モニターが並べられ、スキンヘッドのおじさんが何やらしゃべっている。この人が、建築家ジャン・ヌーヴェル氏のようだ。氏の背後には、きのうGさんと待ち合わせた「アラブ世界研究所」が映し出されている。だが僕が気になったのは、その液晶モニター。「
SAMSUNG」と書かれてある。韓国も頑張っているなあ。そういえば、ホテルのテレビもサムソンだったか。

 この催し物、建築関係のものなので、僕はフムフムとただ見るばかり。弟は熱心に見て回っているようだが…。一通り見終わった頃には、もう3時を過ぎていた。
注文するのも難しい
 同じ階にレストランがあったので、遅い昼食をとる事にする。周りがガラス張りで、凄く眺めがいい。まず、最初の夜に覚えた“ネクター・ドゥ・オランジュ”を注文、食事は軽いのが良いとオムレツを頼んだ。しばらくすると、オムレツだけが白いお皿に乗っかり出てきた。うーん、シンプル過ぎる。他にも何か頼まなきゃならなかったのか。オレンジジュースは、うん、これは濃くて美味しい。弟はクラブ・サンドウィッチを注文したが、大変な量だ。

 実は、今夜も弟の友人に会う事になっているのだ。Cさんというその方も、以前日本で一緒に仕事をしていたのだという。おととい会ったAさんとも知り合いだ。彼女との待ち合わせは、新凱旋門の下で7時。早くお土産を買わないと、時間が無いぞ。やっぱりお土産は、初日に買うのが良いのかも知れないな。

 ポンピドー・センターの中に郵便局があり、そこで両替が出来るようなことが書いてあったので、日本円をユーロに替えてくれるのか聞いてみた。しかし、ここで扱っているのはフランだけだと言う。しかし、外に出て正面に両替屋がありますよと教えてくれた。さっそく、その両替屋さんで2万円をユーロに替える。手数料を引いて
145.87Eだった。
忘れちゃいけないパリ土産
 お土産を買おうと周囲を歩いてみたが、適当な店が無い。仕方がない。ガイドブックでチョコレート屋さんを探し、そこに行く事にする。

 1号線ジョルジュサンク駅で降りて、シャンゼリゼ通りから南に入った『ラ・メゾン・デュ・ショコラ
La Maison du Chocolat)』というお店でチョコレートを買う。日本人の店員さんがいたので、安心して買い物が出来た。

 どうにか、約束の時間までに新凱旋門まで行けそうだ。ところが弟は、ゆうべ車の中からしか見られなかった、ポルト・マイヨーの「パレ・デ・コングレ」に行きたいと急に言い出した。急いでCさんに電話をして、待ち合わせを8時にしてもらう。
なんでこんなに苦労する
 ポルト・マイヨーは新凱旋門へ行く途中にある。僕は建物に興味は無いが、トイレに行きたかった。「パレ・デ・コングレ」に入るとトイレの表示を見つけ、急いでそこに向かう。だが、行けども行けどもそれらしきものが無い。そして
200メートル位は歩いただろうか、建物の一番奥にようやく見つけることが出来た。

 トイレの入り口には、白衣を着たおばちゃんが二人、椅子に座っている。「ボンソワー」と声を掛けながら
35セント(だったかな)をおばちゃんに渡し、中に入る。

 お金を取るだけあって、パリのトイレは清潔で気持ちが良い。だけど、お金を取るのは良いけど、“何処にでも有る”というふうにしてもらいたいものだ。弟は写真を撮り、僕はスッキリしたところで、いよいよCさんに会いに行く。
灯台下暗し!?
 新凱旋門に着くと、結構人がいた。新凱旋門の下にある階段部分に、携帯をかけている女の人がいるが、この人ではないだろう。弟も違うみたいだと言うし。僕らは階段部分の真ん中に腰を下ろし、しばらく待つことにした。

 なかなかCさんは現われない。弟が彼女の携帯に電話を掛けに行く。う〜ん、凄い建物だなあと新凱旋門を見上げていると、目の前にいる先程の女の人が、携帯に「
Long hair? Glasses?」などと言っている。え?と、目と目が合う。な〜んだ、この人がCさんだったんじゃないか。髪が長いので、僕のことを女の人だと思ったと言う(ホントカヨ)。弟も10年ぶりで彼女とは分らなかったらしい。もう日本語は忘れてしまったとの事。会話は英語でする事になった。
おじゃましま〜す・PART2
 車に乗せてもらい、彼女の家に向かう。彼女の家は、新凱旋門から直線距離で1キロと離れていない住宅地にある。ここは住所からいうと、パリ市ではないらしい。

 鉄製の大きな扉を開けて、車を中に入れる。こちらはアパルトマンではなく、一戸建てのようだ。靴のまま家の中に入る。日本の家屋と違うと思ったのは、玄関らしい玄関が無く、入ってすぐにリビングがある!ということ。間仕切りが無いのだ。こういう造りは一般的なのか、この家だけなのかは分らないが…。そして、やっぱり天井が高いということ。

 三人の子供達があいさつに出てきた。上から男の子、女の子、男の子の三人兄弟。みんな可愛い。弟が子供達へのお土産に日本でしか売られていないという「ポケモン」のバッジ(?)を渡すと、みんな大喜びをしていた。だがCさんに聞くと、子供達は「ポケモン」が日本製のキャラクターだとは知らないという事だ。どこ製だろうと子供達には関係ないのだろう。母親であるCさん自身は、あまり「ポケモン」などのアニメは好きではないと言う。僕も、“キャラクター商品を売るために作られるアニメ”はいかがなものかと思う。

 家の中を案内してもらう。屋根裏部屋も含めて、3階建てプラス地下室という造りだ。女の子のお気に入りの遊びは、パペット遊びだという。手を入れて操る人形劇を、お友達を集めて見せるのが楽しみなのだそうだ。女の子の部屋には、ステージとして丁度良い“ついたて”がしつらえてあった。日本ではあまり聞かないが、これはいい遊びだ。TVゲームなんかより格段にいい。屋根裏にある男の子の部屋は、ミニカーなどのおもちゃが散乱している。どこの国でも似たようなものだ。

 リビングに戻り色々話をしていると、旦那さんが帰って来た。弟は以前、この旦那さんともお会いしたことがあるのだという。Cさんが夕食の準備を始める。三人で話をしていると、一番下の男の子がナッツの入ったトレイを持って来て、やたらと勧める。お客様に対してはそうするように躾けているのだろうか。

 そろそろ子供達は就寝の時間だ。子供達は、はにかみながら「オヤスミナサイ」と言って自分の部屋に戻っていった。アレレ、日本語?。僕らも「お休み」と手を振った。子供達も将来、ぜひ日本を訪れて欲しいな。

 夕食が出来上がる。やっぱり最初はワインで乾杯だ。サラダ、ポテトの料理、そしてローストチキン。一般的な家庭料理なのだろう。こういったものが食べられるというのも、嬉しい事だ。とても美味しい。お腹が一杯になった。

 食べ終わったところで、今度はデザートだ。手作りのチョコレートムースが出てきた。Cさん自慢のデザートらしい。甘さ控え
めで美味しい。「日本では、甘いものは別腹と言う」を英語で言おうとしたが、どう言えば良いのか分らず失敗。

 色々話をしているうちに、時計を見ると
12時が近い。そろそろホテルに戻らねば。みんなで写真を撮る。Cさんが、車でポルト・マイヨー駅まで送ってくれた。頬と頬を合わせて別れのあいさつ。去って行く車に手を振り、駅への階段を下りる。

 乗り換え駅のホームで、「深作欣二」のポスターを見かけた。今度「バトル・ロワイヤル」を上映するらしい。
あなたがどうしてフロントに?
 ホテルに戻ると、フロントに初めて見るお兄さん。アル・パチーノ似のこのお兄さん、「あした帰るのか?空港まではタクシーを使うのか?」と聞いてきた。僕が「うん、タクシーを使うつもり」と言うと、「シャトルバスを使わないか、二人で
30Eでいいよ」と言う(もちろん英語で会話)。よくよく聞けば、このお兄さんがシャトルバスの運転手ではないか!。まあ、二人で30Eは安いので頼む事にした。ついでに、ウェイクアップ・コールも頼む。