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時の流れの中で、一瞬のきらめきのごとく飛び込んでくる言葉がある。。
時には暗闇の中の一筋の光のように、砂漠の中の小さな泉のごとく。。。
実行できないけれど
わたしの一生の座右名
自分をかっこよくみせようと
いう気持ちを捨てること
相田みつをほど、自分をかっこよく見せようと思わなかった人はいないでしょう。
長い人生には、いろんな風が吹いてきます。何をやってもとんとん拍子に
すすきが
まだ美しい
いのちいっぱい
一生けんめいに
生きてきた
からだ
すすきは、枯れてもその持ち味を失わず、むしろすすきらしい美しささえ
にんげんのつくった
もんじゃねんだよなぁ
by:相田みつを
「土水空気」がその存在自体のように大きく描かれた作品です。
ふっても
てっても
日日是好日
泣いてもわらっても
きょうが
一番いい日
私の一生の中の
大事な一日だから
by:相田みつを
日日是好日、という言葉には悠悠自適、という趣がありますが
同じやるなら
本腰入れて
やってごらん
そのほうが
つかれないで
たのしいから
by:相田みつを
好きでやっている仕事なら、いわゆる「ストレス」は感じないで
種子さえ
蒔いておけば
いつかはかならず
芽が出る
よいたねには
よい芽が
悪い種子には
悪い芽が
忘れたころに
ちゃんと
出てくる
by:相田みつを
遺作集に収められた作品の一つです。相田みつをが因果応報という
by:相田みつを
心のあり方次第で、人間は仏にも鬼にもなります。また、心を無くして
1番大事な
ところへうつ
くさびだから
みえないようにうつ
by:相田みつを
楔(くさび)とは柱の繋ぎ目などに打ち込む大事な金具ですが、見えて
いつ
by:相田みつを
いつかK先生が何かに書いておりました。「けれど・・・」という奴は、
「けれど・・・」の次に来る言葉は、必ず弁解と言い訳だ。それは、
・・・・・しようと思ったのですけれど・・・・・
思うだけ、考えるだけでは具体的な形にならぬ。やれなかったのじゃない、
これは誰にいうセリフでもありません。ぐちばかりで体の動かぬ怠け屋の
by:相田みつを
シンプルな作品ですが、作者はこのひと言で、生きていく為には
耐えただけ
土の中に
根が張るんだな
by:相田みつを
苦労しないで育ってきた人は、わずかな困難に遭遇するとすぐに
わけ合えばあまる
by:相田みつを
お寺などによく地獄と極楽の絵があります。地獄では、1メートルは
ように
苔の
ように
by:相田みつを
「雑草のように」というのはすんなり分かります。踏まれても
雨の中を
風の日には
風の中を
by:相田みつを
雨の日には、雨を全面的に受け入れて雨と共に生きる。
うん
そうだよ
そうだよ
そうだとも
くちだけ
うごかしている
傍観者に
なにがわかる
by:相田みつを
晩年の作品ですが、相田みつをは急逝してるので、本人に
廻っている
ほど独楽
は静か
です
by:相田みつを
独楽は回転してる時には動きが安定しています。しかし、
かかげて
歩け看板を
だれのもの
でもない
自分の
いのちの
看板を
by:相田みつを
ここに言う看板とは、例えば、どこどこの会社勤務だとかいう
季節
樹木が孤独に輝く
季節
樹木が黙って根を張る
季節
そして一年の中に
樹木がもっとも充実する
季節
by:相田みつを
樹木とからめて提示されたそれぞれの季節は、秋、冬、春、夏の
しないで
なまけない
わたしは
弱い人間だ
から
by:相田みつを
「わたしは弱い人間だから」ということが相田みつをの原点に
ここ
じぶん
その合計が
じぶんの一生
by:相田みつを
この言葉の前半「いまここじぶん」を呪文のように、
かけがえのない
たったひとつの
いのちゆえ
明日知れぬ
はかないいのちゆえ
きょうのいのちを
しずかに
おもう
by:相田みつを
いのちというものは代用する事の出来ない唯一のものです。
なみだで
あらわれるたびに
まなこが
ふかくなり
うれいが
ふかくなる
by:相田みつを
人が涙を流すときは、何かに感動したり、辛い思いをした時です。
名刺には肩書も書かず、気取った所のない生活態度でした。しかし、その人が
自ら「実行できない」と言うほど、見栄を張る気持ちをいっさい捨て去るのは
難しいことなのでしょう。
うまくいく追い風の時期もあれば、失敗ばかりが続く逆風の時期もあります。
人生における風は、思うがまま吹いてくれない存在です。風がどのように
吹こうが、毅然と生きて生きたいものです。
感じられます。このように人も歳月を経てなお、美しく輝きを増すところが
あります。年老いても美しく生きられる人には、その時その時の人生を
一生懸命生きてきたという証があります。解説:相田一人
晩年の相田みつをは「自然」に強いこだわりを感じていました。
自然の偉大さの中では、「にんげん」の営みなんてちっぽけなもの。
そして、そのちっぽけな存在である自分に何ができるのでしょうか。
解説:相田一人
相田みつをの言う日日是好日とは、今の一瞬をこそ一生懸命に
生き抜かなくてはいけないのだ、という決意に彩られたものです。
今日が一番いい日、だと言い切るための、生きる熱意が必要なのです。
解説:相田一人
すむことでしょう。何事にも本腰を入れて行えば、正面から立ち
向かって一所懸命になっているうち疲れを忘れて時が経ってしまいます。
同じやるなら、その方が健康にもいいのは言うまでもありません。
解説:相田一人
仏教の教えをどれだけ実践的に感得していたか分かりませんが、
ここでは、よいことはよい、悪いことは悪い、その因果はいつまでも
続く、ということを鮮やかに指摘して嗜めているかのようです。
解説:相田一人
しまったら、どんなに豊かな生活を過ごしていても、本当の幸福を手中に
しているとは言えません。心を失ったりゆがめてしまわない為には、人と
自分を素直に見つめていくことが必要です。解説:相田一人
しまったら用を成さない面があります。人と人との繋がりにおいても
本当に大事な心遣いは、人に知られずに行ってこそ意味があります。
自分自身の人生への楔も、打つタイミングが重要です。解説:相田一人
結局は何もやらないーーーと。ホントにそうだ、ほんとにその通りだ。
やれなかった理由ではなくて、やらなかった弁解だ。自分がやらな
かった事を、何とかやれなかったことにする為の体裁のいい訳だ。
・・・・・やらなければいけないと考えたんですけれど・・・・
要するにやらなかったのだ。やらなかった事に「けれど・・・」なんて
余分なものは付けることはない。後にも先にもかけがえのないたった一ツ
のいのち、明日知れぬはかないいのち、、、という事を、骨身に感じながら
生きている者は、「けれど・・・・」なんておまけはつけない。具体的に
やるかやらぬか、、、二つに一つの選択だけ。余分なおまけをつけている暇が
ないのだ。やらなかったときは、やらなかったーー。ただそれだけでいい。
それでお終いにすればいい。一切おまけはつけぬこと。そうすれば毎日の
生活がどんなに爽やかになることか。毎日のいのちがどんなにはつらつと
なる事か。人生のプロは「けれど・・・」ということばは使わぬ。
わたし自信への戒めです。解説:相田みつを
あらゆる面で他人の援助や理解が不可欠なのだから、感謝の気持ちを
忘れてはいけないという事。そして仏や大自然などの大きな存在への
畏敬の念を忘れてはいけない、と言いたかったのでしょう。解説:相田一人
くじけてしまいます。しかし、苦労を重ねてきた人には、真の粘り強さが
生まれます。この作品は相田みつをが精神的にも経済的にも苦しかった
中年期の作で、言わば自身を激励した言葉であるとも言えます。解説:相田一人
あろうかという長い箸の端を持ち、食べ物を口に持っていくが食べら
れない様子が描かれています。極楽の方は、同じ長い箸なのに、自分の
口ではなく人の口に食べ物を持っていく。この作品を見ていると、その
絵を思い出します。解説:相田一人
踏まれても、たくましく伸びていくというイメージですね。
苔というのはちょっと分かりずらい。「苔の悲しみ」という詩に
、
苔は倒れるだけの高さがない、とあるので、闇雲に背伸びをしない
という意味でしょうか。解説:相田一人
風の日には、風と一緒に生きてゆく。あたりまえだけれど、
前向きに積極的に生きるということ。相田みつをは、そういう
思いを込めて「雨の日には・・・」を生涯書き続けました。
解説:相田一人
これは私が相田みつをの詩の中で一番好きな詩です。。やま・ゆり
晩年という意識はなかったでしょう。この作品も筆使いこそ
晩年らしく淡々としていますが、口先だけ同意していて自分は
リスクを負わない傍観者に対する、激しい憤りが伝わってくる
作品となっています。解説:相田一人
回転が緩くなると自分の軸さえ定まりません。人の生き方も
同様で、一生懸命に生き抜いている時は、人に優しく平穏な
気持ちになれるのです。解説:相田一人
名刺の肩書のことではありません。いのちの看板のことです。
では、いのちの看板とは何か。それは肩書も何もかも取り払った
後に残ったもの、裸の自分のことです。解説:相田一人
順番なのでしょうか。それとも、それぞれの季節は、樹木自身が
決めるのだと言いたいのでしょうか。確かな事は、人間も樹木と
同じように様々な季節を経ていくのだ、ということなのです。
解説:相田一人
ありました。そのことを、いじけたり居直ったりせずに、
ありのままに受け入れた上で、無理もしないが怠けないという
一見消極的で、実は前向きな生き方が出てきたのでしょう。
解説:相田一人
口に出して繰り返し唱えてみると、背筋が少しだけ
伸びてくるような気がします。続けて後半を読むと
恐ろしいなぁと思えてきます。人生というものの
両面が現われた言葉だからでしょう。解説:相田一人
しかも明日は、そのいのちがどうなるのか、残念ながら
予測できないのが人間です。生きる事を謳歌する作品も
ありますが、ここではいのちの大切さとはかなさを、
穏やかに感じ取っています。解説:相田一人
それは強い感情の波の訪れですから、人を成長させたり、感情の彫りを
深くしたりします。涙はいいことばかりもたらす訳ではありませんが、
涙があるから人間であり続けられるのです。解説:相田一人