前田慶次利貞


 慶次は、加賀百万石の藩主前田利家の甥で、戦国時代かぶき者として名を馳せた武将である。慶次は京都で直江兼続と出会い交友し、戦国武将の中でわが主は上杉景勝と惚れ込んで仕官した。東北の関が原合戦といわれる最上長谷堂の戦いでは殿軍(しんがり)として大いに武功を上げた慶次であった。慶長6年関が原の戦後処理で景勝は会津120万石から米沢30万石に減封された。その秋景勝は米沢に向かった。後を追うように慶次も京都から米沢に向かった。慶次は米沢の郊外堂森に「無苦庵」を建て花鳥風月を愛で、近隣住民とも相和し楽しい余生を送ったといわれる。

 慶次は文武両道に秀でていながら奔放な生活をしていることが大きな魅力となって、全国の人気となっている。ファンは慶次の本当の姿を求めて遺跡や遺品のある米沢を訪ねている。最近、道中日記はもとより堂森地内にある慶次清水を訪ねたいというファンが増えてきた。