慶次の遺物
前田慶次供養塔
〜米沢市万世町堂森 善光寺境内〜
阿弥陀堂と講堂の間にある。
酒井清滋住職により昭和55年10月に建立されたもので、
平成11年11月25日に390回忌を執行した時の供養塔(木柱)も建っている。
前田慶次の墓所 一花院跡
〜米沢市中央3丁目4−25 虚空蔵菩薩境内〜
一花院は米沢城下北寺町西蓮寺北側にあったが、
明治初年廃寺となり現在は虚空蔵菩薩境内となっている。
慶次清水
〜米沢市万世町堂森(八幡原野球場西)〜
慶次清水は慶次が庵をむすんで生活した時使用した清水として、
今に伝えられている。
水量が豊富で農業用水として使用された。
現在は周辺開発の影響をうけ
湧水量が減っている。
場所は八幡原野球場のバックボード裏の
石段5段を降り杉林を左手に進むとある。
杉林は私有地なのでゴミを捨てないで下さい。
またタバコの火で火災など絶対出さないようにして下さい。
これらを守らないと2度とこの地に入れなくなります。
よろしくお願いします。
前田慶次所用の甲冑
〜宮坂考古館臓(米沢市東1丁目2−26)0238−23−8530〜
朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足は
前田慶次所用の甲冑と伝えられている。
兜は南蛮傘式といわれ、
裃のように肩の張った肩当といい、
金色の鱗形袖はなんとも威風であり、
胴と草摺は朱漆塗で
いかにも奇行をもって知られた「かぶき者」、
慶次好みの甲冑といえる。