芍薬の杜(元中山)

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清水三河守康徳が創建した元中山の諏訪神社。諏訪神社境内の子守観音。マリア観音ともいわれる。
諏訪神社では六月になると芍薬が咲き誇り、「芍薬の杜」と称している。元中山と中山を結ぶ道「長坂」。
南陽市元中山は新々刀の祖である名刀工水心子正秀を生んだ土地である。北にある上山市中山は中山城が構築された際に元中山から移転した屋敷によって構成された集落であるという。元中山と中山を結ぶ道「長坂」は「釜渡戸藪道」と呼ばれる道の一部であった。「釜渡戸藪道」は中山〜元中山〜釜渡戸〜宮内を結び、赤湯を迂回せず荷物を速やかに運ぶ道であった。
元中山の諏訪神社は関ヶ原の戦いの翌年、中山城の将、清水三河守康徳(上杉家臣、旧武田家臣)が信州諏訪大明神を勧請して創建したという。境内にある子守観音は外国風の帽子で胸の紐の結びが十字架をかたどっており「マリア観音」といわれている。当地でのキリスト教信仰を窺わせる遺跡である。諏訪神社では芍薬を栽培して六月になると芍薬が咲き誇り、「芍薬の杜」と称して観光客を楽しませる。

 

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