松原文殊堂

越後街道

国道113号
    越後街道
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諏訪峠近くの眺山丘陵から見下ろした置賜盆地。イザベラが見た「アルカディア」の風景はこんな感じだったのだろうか。松原文殊堂

川西町小松から越後街道は北西へと向かい、飯豊町との境で十三峠最初の峠、諏訪峠を越える。辺りは眺山丘陵という丘陵地帯で『日本奥地紀行』の作者イザベラ・バードは諏訪峠付近から置賜盆地を眺めて「実り豊かに微笑する大地、アジアのアルカディア」と讃えている。
眺山丘陵の北麓、
越後街道の宿場「松原」には松原文殊堂がある。これは元禄四年の手ノ子村の川普請で文殊の石仏が見つかり、そのお告げでこの地に文殊堂がつくられたという。また松原には米沢藩の刑場があり赤湯御殿守で森平右衛門一派だった佐藤平次兵衛が処刑されたのも松原の地という。今は宿場に代わって「道の駅飯豊めざみの里」が旅行者を迎える。
(参考)「十三峠」
かつて置賜から越後へ向う街道を越後街道と呼んだ(越後では米沢街道と呼んだ)。現在の国道113号線のルートは明治になって鬼県令三島通庸が1885年に整備した「小国新道」で、江戸時代は米沢を出発して小松(川西町)‐松原‐手ノ子(飯豊町)‐沼沢‐白子沢‐市野々‐黒沢‐小国‐足野水‐玉川(小国町)と経て、越後国(新潟県)に至る街道であった。この街道は峠が多く、まとめて十三峠と呼ばれていた。現在は道路改良などで十三峠のうち、小さな峠は確認できなくなっている。

 

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