ふ   せ        け   さ       こつ   じき
     布 施 ・ 袈 裟 ・ 乞 食 の 話

 昔、インドで釈迦が説法を行っていた頃のこと。
坊さんたちは、人間の生きる道を人々に説いて廻っていた。
悩める人たちに仏の教えを説き、生きるための智慧や正しい生き方をする方法を授けていた。
自分で生産活動を行ってはいない坊さんは、衣食を人々の施しによってまかなっていた。
坊さんは、仏の法を人々に施すかわりに財を施してもらう。托鉢といって、鉢を手に、町を歩いて
人々に施しをしてもらっている姿を見たことはありませんか? これを乞食(こつじき)といいいます。
何もしないのに、ただ真似をして食を乞うのを乞食(こじき)といい、同じものではありません。

ある日のこと。いつものように説法をして各家々を廻っていたときのこと。
ある貧しい家で、「たいへんよいお話を聞き、生きる希望が湧いてきました。
しかし、ご覧の通り、私の家は貧乏で、お坊様にあげる物は何一つありません。」
「差し上げられる物といえば、赤ん坊のおしめに使っているこの布ぐらいです。」
「このような物でもよければ・・・。」

 お坊さんは、ありがたくその糞に汚れて、洗ってはあるものの、黄色くなっている布をいただいた。
お坊さんは、その布を寄せ集め、四角い布をつぎはぎして衣を作り着たのです。
インドの服装分かりますか? サリーという肩に掛けて纏う着衣です。
これが、お袈裟の起源です。袈裟って、よく見ると、小さな布をつぎはぎしてできているのですよ。
今度、お坊さんが着ているのを見たら、よく見てみてください。首からかける絡子(らくす)もそうです。
そして、基本の色は黄土色なのです。糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。

布施って、「布を施す」と書きますよね。 …わかりましたか? 「布施」の起源が。
誠心誠意、心をこめて人のために施しをすることを布施と言います。

だから、暑いときに扇いで風を送ってやることも、困っている人に救いの言葉をかけることも、
優しい笑顔を与えることも、皆「布施」なのです。

今、お布施というと、いくらお坊さんにお金を包もうかということだけが「お布施」という意味のように
なっていますが、もともとはそのような狭義のものではないのです。
 気持ちがあるかないかで、その意味も違ってきます。坊さんにだけではありません。
他人には、自分でできるだけのことを、誠心誠意で施すことが大事でなのです。

  法事の後にこの話をしたときに、「それならば、おしめをあげればいいのだな。
布施の起源だ。それならば文句ないだろう。」と言った人が本当にいました。
今の時代では、これは非常識というものですよね。失礼です。坊さんを馬鹿にしています。
坊さんの生活の糧とするお布施なのですから。  自分がされたらどう思うのでしょう。
貧しく、おしめしかあげられず、それでも何とか施しをしたいという気持ちとは違うものでしょう。

  ・・・しかし、それでも有り難く頂くことも貪らない布施行としては大事なのですが・・・。



          別 の 袈 裟 の 話
                       (沢木興道老師の「禅談」より)

 釈尊の説法によって、深く仏教に帰依した舎衛国の波斯匿王が、あるとき馬に乗って
道を通っていると、向こうの方から仏弟子が来るのに会った。
 そこで、馬から下りて丁寧にその仏弟子にお辞儀をすると、仏弟子と思ったその人は
バラモン僧であった。 
 そこで、これではならない。何とかして仏弟子とそうでない人との区別が一目で分かるように
ならないものかと、釈尊の許に行って服制を定められるようお願いした。
 すると、釈尊は傍にいた阿難尊者をかえりみながら、水田を眺めて、あのようにしたらよかろう
と言われた。
 水田の大事なことはよく分かっている。この水田法はこれまた釈尊のご指導によって
始められたものである。
 これがお袈裟の由来であって、それがためにお袈裟のことを福田衣とも水田衣ともいう。





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