「般若」って、鬼の面?


 「“般若”ってなんですか?」と質問すると、きっと「」とか「鬼の面」という答えが返ってくることでしょう。
ところが、本来は仏教語で、「仏の智慧」のことなのです。

 昔、いつの時代かは分かりませんが、ある所に能面作りの男がいたそうです。
 その能面師は優秀な人でしたが、あるとき自分の力の限界に達し、行き詰まったそうです。
 「いくら頑張ってももうこれ以上の能面は作ることができない。何とか神仏に願をかけてもすばらしい能面を
作り上げたいものだ。」
 そう思った能面師は、自分の名を「般若」…つまり「仏の智慧」と名乗って、更に能面作りに励んだそうです。
 そうしたところ、努力の甲斐合ってか、あれほど苦しんでいたスランプを脱出し、すばらしい能面を完成させる
ようになったそうです。
その中でも、とくに鬼の能面は、彼の右に出るものはいないほどの最高の傑作だったということです。
 そして、何時の間にか「般若坊の能面はすばらしい。」との評判になりました。

   「般若坊の作る鬼の面はすばらしい。」
   「般若の鬼の面はすばらしい。」
   「般若の面(=鬼の面)はすばらしい。」

 ということで、 般若の面=鬼の面 と、同じ意味の言葉になったようです。

 ですから、「般若」は「仏の智慧」のことであって、本来の意味は「鬼の面」ではないのです。
                       (今はもう「鬼の面」で定着してしまっておりますが…。)

 このように、本来の重要な仏教語の意味が、何時の間にか別の意味に捉えられていることが多いのです。
 たとえば、別項の「お布施」などもそうですね。 …「坊主」等は、あまり良い捉え方はされておりません。

 ちなみに、「挨拶」「我慢」「四苦八苦」「大衆」「愛嬌」「有難い」「安心」「覚悟」「行儀」「工夫」「玄関」「現在」
 「差別」「邪魔」「出世」「正直」「実際」「食堂」「人事」「絶対」「醍醐味」「知識」「道具」「道理」「秘密」「愚痴」
 「平等」「非道い」「不思議」「蒲団」「分別」「迷惑」「律儀」「悪口」「融通」「不覚」「道場」「堂々」…等等。
 全て仏教語です。私達日本人は、以前から仏教の言葉や生活に自然に馴染んで育ってきていたのです。

 でも、言葉だけならまだしも、仏教自体も今では「葬式仏教」と陰口をたたかれる始末。
よほどあくどい坊主や寺が、本来のイメージ? いや意味を変えてきてしまったのかもしれませんね。

 でもでも、本来の坊主や仏教や寺は、元々そういう幻滅をもたらすものではありません。
 是非この機会に、多少臭いを嗅いだり、かじったり、足を踏み入れたりしていただきたいと思います。
哲学、宗教、科学、色々な教えを勉強するのもいいものです。色々味わってみてはいかがでしょうか。