おいたまの郷へようこそ(好生第32号2000/10/20)
2000年4月、米沢市としては4番目の特別養護老人ホームが、下新田に開設された。1万4千uの敷地に、3千uの鉄筋コンクリート平屋建の堂々たるものである。定員50名で、ショートステイは20名、デイサービスは23名を受け入れ、41名の職員が対応している。ほかに在宅介護支援センターを併設。置賜駅(おいたまえきと読む)周辺は「おいたま」と呼ばれており、置賜地方(おきたまちほうと読む)とは区別されるが、上郷とも呼ばれるところから、「おいたまの郷(里ではない)」と命名された。
平成6年6月夕刻、気心の知れた数人の米沢侍が一同に会し、自分たちが入りたくなるような理想の老人ホームを造ろうと話し合った。介護が必要になる前に住む高齢者住宅を併設し、広大な敷地に老人健康村を築くという壮大なものだった。賛同者の募集、開設場所の選定、法人設立など、前途に横たわる様々なハードルをクリアーしながら、足かけ7年、ついに夢は実現した!もちろんこれは夢の一部でしかない。かっての侍も今は、平均年齢70代後半。しかし要介護認定の申請をすれば、皆「自立」であろう。健康老人ばかりである。かれらが同年代の老人をボランティアとして介護する理想郷が、目に浮かぶ。
わたしは6年前、その夢に医者という立場で参加するよう、お誘いを受けた。わたしからすれば親父のような年齢である。その、年に似合わぬ情熱と謙遜な物腰に、深い感銘を受けた。この人たちと運命を共にしようと、不遜にも、決断したのだった。
4月から嘱託医として週2回、回診に通っている。名前を覚えるのが大変である。カタカナで2文字の名前は覚えにくいのである。電話がかかってきて、キンさんのつもりで聞いているとシンさんの事だったりする。今では顔と名前と病状は大体一致している。廊下で会っても、何とか名前がでてくるようになった。
この世に生まれた時と、この世を去る時、おむつの世話にならない人はいないだろう。ただ赤ん坊の世話と御老人のそれとでは大きな違いがある。要求されるエネルギーが格段に違う。老人は片手でひょいと持ち上げるわけにはいかない。世話する老人が自分の親でないということは大事なことかも知れない。赤の他人だからこそ、特別な感情を入れることなくお世話できるのであろう。
老人は生命に危険がせまっていても、熱を出すこともなく、食欲もあまりおちないことがある。ただ何となく元気がない。このわずかな変化に気づくのは、やはり、普段から見慣れている介護者である。嘱託医は、彼らからの情報を軽視してはいけない。限られた情報から、今すぐ受診すべきかどうかを判断するわけだから、時にまちがうこともある。病院受診ともなれば多くの人手を煩わし、他の入所者にも影響する。責任は重い。
治療が早ければ回復も早い(これが医者の使命)が、後手に回れば死に至る。家族にとって、あるいはその当の老人にとってどちらがよいのだろうか。わたしは今のところ使命に忠実である。早く苦しみから解放されたいと願う気持ちは尊重する。だが職務怠慢(後手に回ること)の口実にはしたくない。いきおいせっせと病院に紹介することになる。
というわけで、是非当施設に足を運んで、将来自分が入りたくなるような所かどうか、お確かめ下さい。意に添わぬ場合は、忌憚のないご意見をお寄せください。最後まで読んでくださって感謝します。