盛夏の渓は泳ぎが似合う
プロローグ 今年の夏の前半はとにかく暑かった。若いおねぇちゃんと海にでも行って泳ぎたいような陽気が続いた。しかし、40過ぎのおっちゃんを相手にしてくれる奇特なおねぇちゃんなどは、当然存在するわけもない。止むを得ずおっちゃんは、扇風機の前でカップのカキ氷を食べつつ、涼むしかない日々が続いていた。そんなおっちゃんは悪知恵だけは働くらしく、若いおねぇちゃんが無理ならば、せめて若いあんちゃんと渓へ泳ぎに行こうかと考えた。 あれ、カジカネの滝がない 大石ダムの駐車場に着くと黒沢君、青木君、野崎君の3人は既に到着していた。 時計に目をやると6時を少し回ったばかりだ。集合時間が6:30分だから3人ともだいぶ早くに来たらしい。おっちゃんの思惑も知らずに「こいつら、気合が入っているナ」一人ほくそ笑むおっちゃんであった。 薄日の射すまずまずの天気、おっちゃんの企みも知らずに、あんちゃん達は足取りも軽く大石ダムサイトのアスファルト道路を歩くのだった。立派な吊り橋を渡り、登山道に入ると気持ちのいい緑陰が続く。雑談をしながら登山道をさらい30分ほど歩くと下降点に着いた。ここは唯一フリーで沢に降りられる箇所だ。しかし、3人に聞くとまだ懸垂下降をしたことがないという。ここは練習を兼ねて懸垂で降りることにする。 経験者がおっちゃんしかいないので、器具の使い方を十分に説明し、とにかく手本を見せることにした。本来ならば、初めての人には別ザイルで確保し、経験させるのが普通なのだが、・・・・肝心の確保者がいない。「ま、フリーでも降りられるところだから何とかなるだろう。」と、おっちゃんは安易に考えた。まずはおっちゃんが華麗なホーム?で手本を見せる。続いて青木君が下降するはずだが、彼はなんと・・・せっかく伸ばしたザイルを回収し始めた。「おーい、なにやってんだー。ザイル回収するごどねぇがら。そのまま下降してこい」初心者とは怖いものだ。何から何まで同じようにしようとするらしい。ま、教えないおっちゃんが悪いかも知れないが、?????とにかく3人とも無事に下降してくられた。 しばらくは広い川原が続いたが、渓は徐々に狭くなり、両側壁が発達したゴルジュへと変化してきた。さーてと、そろそろカジカネの滝があるはずだが、何度か泳ぎを繰り返しながら遡行を続ける。 「あれ、アレ・・・」おっちゃんの記憶がいい加減だとしても、カジカネの滝があった場所は完全に通り越していた。滝がなくなったとしか考えられない。想像を絶するエネルギーが渓へ生じ、滝が消滅したのだろう。やはり、渓は生き物だ!! ああ、帰りたい症候群「盛夏の渓は泳ぎが似合う」はずであった。しかし、太陽は雲に隠れ気温が上がってこない。水に浸かっていると肌寒さを覚える。おっちゃんの頭のなかには『おでん屋→熱燗→若いおねぇちゃん』の図式が出来上がりつつあった。しかし、3人はやる気満々である。無理にあんちゃん達を連れてきた手前もある。このまま引き返すわけにも行くまい。 寒さに抗しながら遡行を続けると、深く長い廊下が現れた。S字型に曲がった廊下の出口はここからでは見通せることは出来ない。 「ほんじゃ、黒沢君がトップで・・・」と、テープを渡し、笑顔で送り出す。彼は、必死の形相で突破を試みるが、S字の最初のカーブの所からどうしても先に進めない。結局、振り出しに戻る。「はい、はい、ご苦労さん。それじゃー、青木君がんばって、」おっちゃんはまたも、作り笑顔で青木君を送り出した。やはり青木君も黒沢君と同じところから前に進めない。やはり振り出しに戻るであった。「はい、はい、それじゃー、おっちゃんが・・・」 「あれ、あれ」見た目は容易に突破できそうだったのだが、流れが強くなかなか進めない。得意のヤツメウナギ泳法で側壁にへばり付きながら前進を試みるが、結局、振り出しに戻るであった。「クソッ」テープを銜えてサイド挑戦するもやはり結果は同じであった。寒さで震えが出る。完全に帰りたいモードだ。 「青木君、ザックを下ろして空身で行ってみー」青木君は苦笑いを浮かべて、決してザックを下ろさなかった。「あれ、君は泳ぎが得意だと言っていたではないか・・・」「こうなれば最終兵器の野崎君だナ」テープを野崎君に渡し、再々度笑顔で送り出す。野崎君は力強い泳ぎで私達が突破できなかったS字の最初のカーブを一気に突破した。ここからでは彼の姿を見ることが出来ない。テープを通じて、振動は伝わってくる。もがいている事は間違いなさそうだ。徐々にテープが伸びていき、20Mテープがいっぱいまで伸びる寸前で止まった。そして、「OK」と野崎君の誇らしげな声が渓へ響いた。「ヨシャー、なかなかやるナ」いつも大変なのはトップだけで、後続はテープに引かれて楽チン・楽チン・・・てなとこかな。 先も息の抜けない難所が続く。おっちゃんは3人に、引っ張ってもらったり、踏み台になってもらったりと助けられながら、楽に遡行させていただく。1mほどの狭い落ち込みをすぎると、歩きやすい渓相と変わった。 おっちゃんは渓相に誘われるようにテンカラを振り始めた。しかし、イワナさんはお留守らしく、毛鉤はむなしく流れるだけだった。すぐに野生児のおっちゃんに勘のようなものが働いた。 おっちゃんは竿を仕舞い、あんちゃん達に譲るようなふりをして、早々に釣りを諦めた。あんちゃん達は恐縮しながら釣り遡るが、釣れるのは小イワナとハヤばかりであった。「やっぱり!」おっちゃんは歳がいっている分ずるいのである。狭いゴルジュから空を見上げれば、今にも泣き出しそうな雲行きである。天気を気にしながら遡行を続けると、ロボット雨量計が目に入った。目的の中俣沢の出合である。時計に目をやるとAM1:00を少し回ったところだった。何とか無事に着いた。この時おっちゃんの頭の中に『居酒屋→生ビール→若いおねぇたん』の新たな図式が作られていた。 脱トップ宣言 おっちゃんは帰路の登山道をとぼとぼ辿りながら、今日の遡行を振り返った。そして、若いあんちゃんから比べればなんと体力の無いことか。歳には勝てないことを痛切に感じていた。おっちゃんが栄光のトップを努める時代は完全に終わったようだ。これからは素直にあんちゃん達に引っ張ってもらうことに心がけよう、っとッ。 (あづま けい)