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‘01回想録 大石川/東俣沢 追懐の渓「嗚呼東俣よ」佐 藤 幸 助 |
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昨今、会報10周年記年号の販売営業に専念、忙しかった私めに(ノルマ達成!これ以上無理!)徳さんから忘れかけていた、忘れたい原稿依頼があった。 01年の大石川東俣川釣行をいまさらながらに書けというのだ。昨日の夜のことでさえ思い出せないほど脳みそや五臓六腑は焼酎漬けになっている。おまけに手も震えてきたこの私めに、思い出せとは酷な話。酷というより悪行、愚行、オキテ破り、無理難題、やっぱりワガ(ママ)トクというもの。 すっかり焼酎漬けになった記憶を壊さないように脳みそから引っ張り出すのにはやっぱり潤滑油が必要である。パソコンを前に手の震えを抑えるのにも抗震剤が不可欠である。 タンブラーに梅干しを入れトクトクとオクチュリをそそぎクィッと口に流し込む。焼酎漬けの記憶がフラ〜フラ〜と泥酔状態で現われてきてはまた消えようとする。消えないうちにとパソコンのキーを叩くも抗震剤のきれた職場とはちがい正確にキーを打ち込んでいく。 お見事!ベリーグッド!ハラショ!ハラショ! 「東俣」。「東俣」という名前はいたる所の川に名づけられており、人で言えば鈴木とか佐藤のようなものであろう。しかし、私にとって「東俣」と言えば飯豊連峰、大石川の東俣川なのである。かといって東俣川は自慢するほど通っている訳でもなく、知り尽くしているわけでもない。今回の釣行でおそらく3回か4回目だと思われる。それでは何故に大石川か。それは私めにとって追懐の情にたえない渓なのである。東俣での藤枝さんとの源流釣りは、渓の醍醐味や山々の恵みはもちろんのこと、労働運動、人としての有り様を教えてくれたのである。ついでに渓でウケル溺れ方までも・・・。 ついつい忙しさにかまけて源流釣行がめっきり少なくなってしまったが、ストレス発散、リフレッシュはやっぱり渓の中がいい。そんな思いで、職場の先輩小関さんと群遊会きってのアル中、タケちゃん(ご同輩)、そしてタケちゃんの先輩横山さん親子の5人で遊ぼうということになった。 日程や天気、パーティの技量、渓の難易度など、はてさてどの渓にしようかと地図を眺めて考えているうちに「東俣川」の文字が目に入ってきた。 かれこれ何年前になるのであろうか群遊会の藤枝さんと2人きりで挑んだのは・・・。 源流釣行にのめりこみ始めた私めと、すでに渓遊びの技量も円熟期を向かえ少々自信過剰気味の藤枝さんとの釣行は会報ですでに紹介されている。そこで繰り広げられた渓遊びやテン場での酒盛りは掛け替えのない思い出、財産となっている。(注:藤枝さんはご健在で渓遊びはご卒業なされ、芝遊びに夢中とか。)そんなことが思い出され、まったりと東俣川で遊んでみたいとあっさりきめてタケチャンに連絡しメジロも落ち着く8月17日に入渓とした。 ひさかたぶりの東俣林道はほとんど保全、管理がされておらず車での走行は難儀させられた。「えっちら」「おっちら」やっとのことで駐車場までたどりついたはいいが、車の外に出ればこんどは季節外れのメジロが飛んで来る。取り急ぎザックのパッキングを済ませ、ユンケル皇帝液をグイッと飲み干しいざ東俣川への登山道を一騎に駆け上るはずであった・・・。 いきなりの急登に日頃の怠惰が追い討ちをかけ、30分もしないうちにヘロヘロ状態になってしまった。こんな醜態を悟られないように釣師には「ここの岩魚はバッタが大好きヨ。ここでエサを確保しておいたほうがいいヨ。」と言葉巧みに、もうというか、さっそくというか長〜い休憩をとることにして私めは地図とにらめっこしながらすでにテン場をどこにするかを考えていた。いや宴会場をどこにするかであった。(釣師のみなさんゴメンなさい) 沢を横切る吊橋は鉄骨化して以前の面影はなくなっていた。吊橋から渓を覗くと藤枝さんといっしょの私めが魚止めを目指して、いくつもの滝や淵を乗り越え、ギラギラした眼差しで、ほとばしるような熱意でもってこの渓に挑戦していた姿が思い出される。たしか当時はこの吊橋から入渓し沢通しに突き進んでいったのだった。 時は人をかえてしまうのか・・・。 今の私めは魚止めなんてか〜ん〜け〜い〜な〜い。 とぼとぼとゼンマイ道を探しお気軽コースを選択。それでも久々の山歩きは疲れる。タケチャン以外は結構バテバテ状態と判断した私めはパーティの責任者として大休止をとらなければならない。(かくいう私めが一番疲れていた。) 権内沢にさしかかり水を見つければお店を広げなければならない。マグカップに清流を半分入れ梅酒を注ぐ。ガブガブと一騎に飲んでのどの渇きを潤す。2杯目はチビチビと味を確かめるようにカップを口に運ぶ。梅酒の甘さと物足りないアルコールが程よく体の疲れを癒していく。タバコをくゆらしながら3杯目を頂けば疲れていたさっきまでのことはもう忘れてしまい、宴会場でカップ片手に高笑いをしている様に早く近づきたいがために腰をあげ、先をいそぐ。これまでのペースや天候からすると宴会場はフッコシの滝上のテン場が最適だろうと一人思いながら、広川原沢からはいよいよ沢歩きである。遡行に専念すればおそらくはあっという間に宴会場に届いてしまうので、ここで釣師のみなさんに登場してもらうこととした。小関さんと横山さん親子が交代でポイントに竿を出す。エサはもちろん登山道で休憩するために・・・、いや、東俣の岩魚が大好きなバッタである。タケチャンはすでにプロ並に達したカメラワークで後ろから前からシャッターを切る。私めは最後尾からマグカップに今度はウィスキーをドドッと注ぎ口に運ぶ。甘露、甘露。 小関さんはバッタで釣ることが半信半疑か、不慣れなのか、アワセが早く針に岩魚が乗ってくれないようだ。「アワセはガッパリと針を呑ませるくらいでちょうどいいらァ〜」「俺もガッパリ呑んでまちゅ〜」と後ろから野次、いや激をとばす。 横山ジュニアは東京から夏休みで帰省しているミュージシャンだという。 ミュージシャンらしく長髪に金髪で、今の流行らしき細身のメガネをかけた、するっとした細身の身体である。最初に紹介されたときはこの身体で大丈夫かなと思わされたものの、なかなかどうして、バランスも脚力も申し分ない。後は釣の技術が伴えばいい。 残念なのは今回のパーティに釣の師匠が見当たらない。それは、次回に期待してもらうこととして、渓を存分に楽しんでもらいたい。ブナの森に親子での夏休みの記憶をとどめて欲しい。そんな大切な思い出作りに酔っ払いが同行するのはいかがなものか、後ろめたさが募りながらも、カップを眺めると口に運んでしまう。 丸淵、5Mの滝と好ポイントが続く中、小関さんの釣果は尺上も含めて上々であった。横山ジュニアはボーズ。なんとか一匹だけでも釣らせたかったが、宴会場のフッコシの滝までついてしまった。ここからが私めの時間である。 まずは、ビール、ワインを冷やし、せっせっとブナ林の中を整地して、フライシートを張り、マキを集める。着替えを済まし、宴会シートをマキの傍にしいて、カップ、箸、お皿などの宴会グッズを取り揃えれば、キンキンに冷やしておいたビールの栓を抜く。「乾杯!プッハ〜」「だから渓は止められない」タケチャンお手製の「砂肝のニンニク味噌漬」を肴にカップを持つ手が忙しい。 釣師の3人は乾杯にだけ同席し、更に上流へ釣に行くという。横山ジュニアに釣らせたいという釣師心か。無理をしないようにだけ忠告し見送りながらカップを口に運ぶ。さすがにこれだけ呑めば後の祭り。彼らが戻ってきた時には私めの記憶はすでにぶっ飛んでしまい、何を話し、何を騒いだかな〜んもわかりましぇん。(いつものことなのです。) 二日目。私めはいつものとおりチビチビとやりながらブナを見てまどろみ、少しばかり冷たくなった風を感じ、流れる雲を追って、まったりと横になり渓とブナ林を満喫していた。釣師たちの朗報を期待しながら・・・。そういえばこのフッコシの滝に以前、釣人が落ちて溺れてしまいそのまま帰らぬ人になったという話を聞いたことがある。その御霊はまだここに居てどこからか私めを見ているのだろうか。少しばかり心細くなりラジオのスィッチをいれ音楽を聞いて気を紛らす。かつての藤枝さんとの釣行で私めも一歩誤れば溺死という場面があった。釣を終え、テン場へ帰る際に高巻いた滝をまた戻るには時間がかかるとして滝を飛び降りて泳ごうとなったのだ。私めの目測が誤って淵の巻き返しのところに飛び込んでしまい、いくら泳いでも引っ張られ溺れかかったのである。私めは藤枝さんに助けられたのである。 溺死・・・。遺体・・・。死体・・・。ん?遺体と死体の違いは一体なんだ。う〜ん? ん! わかった。 死体は男で、遺体は女だ。「したい」は男、「痛い」は女。 釣師たちも存分に釣りを満喫したようで、ニコニコした顔でテン場に戻ってきた。楽しくてさびしい最後の宵が暮れていった。 沢通しに遡行を繰り返し広川原沢まで戻った。ここからゼンマイ道をただ帰るのでは芸がない。渓を遊ぶのであればやっぱり沢下りである。ここから下流部は結構のゴルジュ帯であるが、スリルを味わうのはもちろん、なんといてもラッコ泳ぎで下っていくのは楽だし楽しいのである。滝を飛び込み、淵をのんびりと流されたと思うと、トイ状の廊下を一騎に駆け下る。あっという間に登山道の吊橋が横切るところまできてしまった。 沢下りを終えて改めて吊橋から渓を眺め、「若かったとはいえ、よくもまぁ、この沢を沢通しに遡行したもんだ」と我ながら感心して登山道を歩いた。 時は人をかえてしまうのか・・・。 いや、渓の遊び方はだいぶ変わってしまったが、渓への思いは変わらないことを渓がまた教えてくれていたのだった・・・。(さとうこうすけ) もくじにもどる。 |