釣行記 | トップページ
 釣行記
No51-3
特集 釣り師が考える環境保護

V 自然環境保護運動と渓流釣り

佐藤 幸助


 釣人は渓をフィールドとして遊んでいる。森があり、川が流れ、そして魚が泳ぐ、あたりまえの条件、環境の中で。言い替えると自然に遊ばせてもらっているのである。
 しかし、渓の様子をよく目を凝らして見てはどうだろう。
 天然の魚はもはや希少種として極一部の奥山へと追いやられ、川にいる魚はほとんどが放流物となってしまった。そして、魚を取り巻く環境ときたら護岸、伐採、エンテイの3点セットにより死活問題にまでなっているといっていい。
 3点セットは何が目的で誰のための物なのか、大規模林道工事、公共事業が中止に追い込まれている現状を引用するまでもなく政・官・財(業)の「鉄のトランアングル」、「癒着の構造」はもはや露呈されている。
 釣人自身も環境破壊の一翼を担いつつある。依然として釣果に一喜一憂する風潮が乱獲を招き、「ルールなきスポーツ」と揶揄されるように「マナーの欠落」がもたらすゴミ投棄がそれである。こうした釣りの環境を憂う釣人、そして団体は少なくないと思う。
 渓でいつまでも楽しく遊ぶためにどうしたらいいのか考えるのは必然的なことである。しかし、それを具体的にどうしたらいいのか手を拱いているのが大方ではないか。
 一部に労働運動ひいては政治活動などの繋がりを駆使して、また、他の自然保護団体との交流で署名活動や請願行動などをいさささかながらやっている釣人たちはいる。せいぜい釣人がやれることはその程度に過ぎないのかもしれない。
 しかし、ささやかとはいえ魚を殺すこと、山菜、茸の採取も最小限に留め、渓で出るゴミを持ち帰ることはもちろん、心ない釣人が捨てていったゴミも持ち帰ることはできるはずである。そして何よりも渓でおきている現象を敏感に感じつつその監視の目を光らせることは渓に遊ぶ釣人にしかできないことであり与えられた責務といえよう。
 釣りという遊びに関っていく以上その魚、環境に無関心ではいられても、無関係にはいられないのだから。
 さらに言うならば、自然環境破壊の諸悪の根源が独占資本と政府にあることが明白になっている今こそ、この事実の啓蒙と普及、そして釣人自身の地位向上が求められているのである。
 釣人よ自然環境保護運動の一翼たれ!(さとう こうすけ)

もくじにもどる。