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 釣行記
朝日山系 三面川釣行記

〜癒しの旅〜

武田 昌仙   



突然の単身赴任

 

 癒しを求めていた。慣れない生活環境と仕事でストレスは限界に達していたのではないか。原因はこうだ。私の故郷は秋田であり、両親の在住するその地に何れは帰ろうか、とも考えていた。一方で現在の居住地である新庄での生活も悪くないと、おぼろげに思ってもいた。雪国山形において、豪雪地帯の名を欲しいままにしていた新庄における冬期間の生活は容易ではなかったが、しかしその風土や人間性に惹かれ、私と家族は既に土地の人となっていた。
 そして今春、14年間生活した、いわば第二の故郷とも言える新庄を「転勤」という会社の都合で追いやられ、仙台に赴かざるを得なくなってしまった。妻の仕事や子供の学校生活を考えればとても応じられる内容ではなく、労働組合を通じて組織的な撤回運動を展開したが、会社との関係を重視した上部機関は十分に応えてはくれず、力及ばず結果として単身赴任を余儀なくされた。
 現在の社会状況を考えたとき、何も単身赴任というのは特別なものではない。むしろ当然のようにどこにでもありふれている勤務・生活形態のひとつである。私の勤務する会社でも少なくない数の社員が単身赴任に応じているし、企業の至上命令=利潤追求という命題に立てば、当然の帰結でもある。しかしそれは同時に人間としての当たり前の要求=家族と共に生活したいという最低限の、本当にささやかな願いを打ち砕くものでもある。ましてや今回の場合は仕事の都合ではなく、私が労働組合の役員であるということに対しての嫌がらせや見せしめもあり、企業の冷徹な一面を、身を持って知り心底堪えた時期であった。そうした私を支えてくれたのは不当な配転(転勤)を許さないとして応援してくれた山形の組合員はもとより、仙台の地の組合員である。仕事をはじめ、通勤や生活面まで肌理細かく世話をしていただき、会社の代弁をするような上部機関組織とは裏腹に、現場の組合員の対応は本当に暖かく嬉しかった。

癒しの場所は・・・。

 ゴールデンウィークに荒川の小屋泊まりで釣行をした。会の友人と久し振りに会い、その振る舞いに酔い元気をもらったが、時間の経過と共にその記憶は薄れ、一方で現実は連日いやおうなしに迫ってきた。「奥山に、源流に行きたい」とこんなに想ったことはなかったように思う。現実逃避と批判されるかもしれない。しかしこれまで年間三桁に近い日数を山に入っていたこと(早朝や夕方の里山の山菜やキノコ採りも含めて)を考えれば、仙台での生活は私にとって「狂気の沙汰」としか言いようがないのである。
 会員の黒沢君から釣行の誘いがあったときから、場所は八久和と決めていた。中下流域の場所ではあるが、癒しには最高の舞台である。その後会長のトクさんから釣行に参加出来そうだと連絡を受け、気の置けない仲間たちとのんびりマッタリと過ごすことが出来る・・・という、想像しただけで癒される、そんな釣行日までの日々を体験したのも初めてのことであった。
 ところが、今冬は近年になく凄まじい降雪量があったためか、八久和へ通じる鱒淵林道が一部決壊しているとの情報を得たため、場所の変更を余儀なくされた。トクさんと相談の結果、場所は三面に決定した。
 いつものようにJR今泉駅で待ち合わせ、黒沢君の愛車で三面を目指すことにした。蕨峠に差し掛かり、こちらの林道も大丈夫かと一人心配していた所、悪い予感は当たるもので、林道決壊による通行止めで村上方面からの大迂回を余儀なくされた。事前の情報不足による結末だが「行き当たりばったり」が信条である当会の面目躍如といったところか。
 奥三面ダムに到着するころには、私の頭はしっかり揺れ続け、運転手の黒沢君には大変申し訳ないことをした。新車止めはアスファルトの広い駐車場で妙な違和感を覚えるが、利用させてもらっている身では文句も言えまい。いやいや、もともと我々の税金で造ったのではないか。「意味のないダムを造るのは止めにして税金を下げろ!軍事費削って樹海保護!・・」と言ったか言わないか定かではないが、照り返しの厳しいアスファルトの上で、お互い汚いケツをさらけ出しながら、そそくさと着替えとパッキングを終えた。
 歩き出してしばらく経ってもバックウォーターは続き、下流部の水位の上昇は明らかであった。三面が初体験である黒沢君に三面川の名支流、岩井俣川の出合いを教えようとしたが、重い荷物にもかかわらず、かなり前方を行く彼にその説明は出来なかった。トクさんと共に年齢と運動不足を嘆きつつ、古いワイヤーの吊り橋の先に架かった新品の一本ワイヤーの意味を話し合った。新しい吊り橋を新設するのではないか、との推測結果は最終日に判明することになる。
 およそ2時間、三面小屋に到着し一息つく。一服しながら今後の行程を相談し合い、時間と体力を換算して今夜の宿を三面の名物「山乞食のテン場」に決定し、重い腰を上げる。小屋から先は直ぐに明瞭な踏み跡がなく困難を極めた。しかし帰途に判明したのだが、何のことはない、単純なルート選択ミスであり、ここでもまた群遊会の面目を保ったのであった。
 何本目か、沢を過ぎたとき丁度良さそうなテン場があって、何となく山乞食のテン場ではなさそうだが「まあいいや」と荷を降ろした。三面のブナたちは健在であり、慎ましく、だがしっかりとその存在を誇っていた。都会や街の喧騒、大きく言えば日本や世界の動向などまるで無関係であり、ただただ、そこにどっしりと腰を据えていた。
 テン場が決まればやることは決まっている。寝床を均してタープを張り、薪を集めてビールを冷やす。あとは釣り人がイワナを釣ってくれば申し分ない。勿論、結果はどうでも良いことだ。トクさんと黒沢君を送り出し、少し早いが焚き火を起こす。流木の殆どが乾燥していたためか、あっという間に火が起きる。う〜ん、名人。一人悦に入っていると、釣果を携え二人が戻ってきた。三面のイワナにしては小ぶりすぎるのだが、それはどうでも良いことで、早速刺身にしていただくことにした。最近の釣行ではすっかり定着したのだが、今回も黒沢君に食担をお願いしてあるので、刺身を肴にまずは乾杯し、いつもの「飲んだくれ」モードに突入する。
 「ほーう」。準備してくれた食材をさらりと見ると、相変わらず凝ったメニューを考えて今夜の宴を盛り上げてくれるらしい。しかし、肝心の肴がなかなか出てこないではないか。
 しびれを切らしたトクさんが「料理はチンチンと、ね。」とやさしく諭している。意味が分からず尋ねると、米沢弁で言う「次から次へ、よどみなく」という意味らしい。
 まあ、そうだなあと思いつつ、歓談を続けているが一向に肴が出ない。責任は食担を任命した私にある。両人に申し訳なく思いつつ、久し振りの癒しのときを楽しむべく、気を配る私があった。あれ、何か変だな・・・?

う〜ん小さい お、来たか?
キジうちではありません

 宴会の掟とは・・

 翌日も天気は上々、水の状態もあり「行ける所まで行ってみよう」ということになった。いくらも進まないうちに、トクさんが「武田釣れや」と竿を差し出してくれた。
 近年こうしたトクさんの配慮が顕著だが「同行した皆が楽しく」という姿勢の現われだろう。有難く竿を振らせてもらった。三面本流で竿を出すのは何年ぶりだろうか。「777の大当たり(平成7年7月7日の意)〜佐藤幸助筆」以来のことであろう。十年ぶりの本流で、素晴らしいテンションを感じさせてもらった。型は別にして皆それぞれに思い思いの釣りを楽しんでいるように感じたが。
 天候はまずまずなのだが、一昨日までの雨がたたり増水気味の渓は中々に手強くて、ついに高巻きを余儀なくされてしまった。ガレたルンゼと草付を登るが結構しょっぱくて難渋してしまったが、何のことはない、最近の釣行不足による不慣れさと体力低下でへっぴり腰になっていただけである。いや、参りました本当に。
 踏み跡を見つけて辿ると直ぐにそこは紛れもなく「山乞食のテン場」であった。暫し休憩した後、再度渓に降りて釣りをするとトクさんが言う。自分は先に帰るからと告げたが「そう言わずに付き合えよ」と返され従うことにした。
 釣り師ご両人共に大場所で粘ったが、結果は付いて来ずに引き返すことになった。まあこんなこともあるさ、と諦めるのが良。テン場に着き黒沢君はもう釣りはしないというので竿を借りることにした。(珍しいという方も居ると思いますが、今夜は久し振りにイワナ寿司を振舞おうと決めていたのでチョットだけ欲張りました)
後は楽しく可笑しく飲むだけだ。私が最も大切にしている癒しのステージである。
 ふと気が付くと、昨日トクさんと私から責められ食担の重責とプレッシャーを嫌というほど感じてしまった黒沢君は少々緊張気味で、ただ黙々と食事の準備を続けていた。
 う〜ん、言葉足らずであったか。「チンチンと」は勿論大事であるがしかし、一番大切なことは「ヘラヘラと馬鹿話をし、大笑いしながら食事を作ること」である。ブナの森で焚き火をして肴を作り、大笑いしながら酒を飲む。少しだけ人生を語り、明日の糧とする。こんな夜が群遊会の宴会なのだ。
 「ガッハハー!」というトクさんの高笑いを闇に吸込ませながら三面の夜は更けていった。
へへへ ポーズも大変
暗い料理人 竿はたわむが???

 会の伝統か・・

 翌朝、目が覚めると既にシトシトと降り出していた。しかし雨が降ろうと槍が降ろうと朝の一杯は欠かせない。記憶が定かではないが、どなたかの言葉を借りれば「朝酒は聡明である」とあるが、本当にそうであると思う。つまりそれは本物の依存症であるということでもあるのだが。
 朝の小宴会を済ませ、そぼ降る雨の中を帰途に着く。往路の難儀が嘘のようにあっさりと三面小屋に到着した。さすが・・・である。
 さて二番目に歩いていた筈の私がトップで終点の駐車場に到着した。はて、先頭は黒沢君であったのだが・・・。程なくトクさんが到着した。後で聞くと、黒沢君は新駐車場への上り口を通過してしまって旧車止めを更に通過してバックウォーター沿いを延々と歩いていたのであった。ある意味トクさん以上のツワモノである。
 トクさんと私の後に到着したのは日帰りで岩井俣に入渓していたという二人組の年配の釣り人であった。簡単な情報交換をして、例の一本ワイヤーが何のために張られていたかが判明した。要するに籠渡し用のワイヤーであって、器具を使って本流を往来するのである。これによって増水であっても安全に本流を横断出来、危うい古い吊り橋を恐る恐る渡ることをしなくて済むとのことである。この釣り人には黒沢君を呼び戻すためにクラクションを鳴らしてもらったりもしたのだが、その後のマナーが最低でがっかりさせられた。
 釣って帰った大きなイワナをこれ見よがしにクーラーに収めたまでは良かったが、イワナを入れていた買い物袋をいきなり林の中に投げ捨ててしまったからだ。山形ナンバーの二人組は高笑いしながら出発したが、これが釣り人の現実か・・・と失望の気持ちを禁じえなかった。
 癒しの旅と銘打ったものの、結末的にはどうであったか定かではない。私を除く両人に去来するものはどうであったのか、今となっては知る由もないが、またいつかこの渓を訪れることは間違いないだろう。

−後記− 
 去る9月3日、私たちの友人である斉藤信之君が、岩井俣のF1で亡くなってしまった。今尚、信じられないのだが、しかし現実は受け入れるよりほかない。
 心より故人の冥福を祈ると同時に、岩井俣での再会を祈念したい。合掌。

武田 昌仙(たけだ まさのり)