堂森善光寺

堂森善光寺前田慶次の供養塔。

(写真左:堂森善光寺)(写真右:前田慶次の供養塔)

米沢の東、堂森にある善光寺は善光寺阿弥陀堂別当寺として大同二年(807年)開基されたという歴史ある寺で、伊達氏以前に置賜を治めた地頭長井氏の祖、長井時広夫妻の坐像が残されている。堂森善光寺に供養塔がある前田慶次利貞は滝川一益の甥で前田利家の兄利久の養子となっていた。前田家家督を継いだ叔父の前田利家に仕えたが、前田家を出奔し、浪人していた。文武両道の風流人で奇矯な傾き者として知られていた。のち直江兼続や安田能元ら上杉家臣と親交を結び、上杉家に仕えた。1600年慶長出羽合戦では直江兼続に従い最上義光と戦う。その際、羽織に「大ふへん者」と大書し、周囲から我らを差し置いて大武辺者とは何かと詰問されると、自分は長の浪人生活で困窮したので大不便者と書いたのだと煙に巻いた話や朱槍を携え兼続を守りながら奮戦したという話が伝わる。1602年には兼続主催の亀岡文殊での詩歌会に参加した。その後堂森に隠棲したとされ、近くには慶次が使ったという慶次清水跡が残る。また善光寺には直江兼続に仕えた志駄修理亮義秀の墓もある。