吉野鉱山

加賀沢千軒跡を示す碑赤山の吉野鉱山跡潜り滝(くぐりだき)

(写真左:加賀沢千軒跡を示す碑)(写真中:赤山の吉野鉱山跡)(写真右:潜り滝(くぐりだき))

吉野鉱山は江戸時代以前から採掘されていたというが詳細は分からない。一箇所でなく赤山や筋などに点在した別々の鉱山の総称である。吉野の荻から水林に向かう道を登って行くと加賀沢千軒という場所がある。寛永年間には鉱山に従事する人々が住んだ千戸分の長屋があったらしい。水林は水資源を確保のため、米沢藩が「御料林」として保護し、山守・水守七世帯を住まわせたという集落で吉野川の源流地帯である。水林から小滝に向かう途中に「潜り(くぐり)滝」という滝がある。この滝は上のまるい穴をくぐって水が流れ落ちてくる。吉野での石膏原石採掘から始まった会社「吉野石膏」は今や、建築用壁材「タイガーボード」の会社として全国的に知られている。昭和になって日本鉱業が吉野鉱山を経営し、山形県内最大の鉱山となったが、カドミウムなど吉野鉱山の鉱毒により下流の赤湯などで吉野川流域の土壌は汚染されてしまった。1974年吉野鉱山は閉山に追い込まれている。