八ツ沼城

八ツ沼城入口、空堀。八ツ沼城裏手の春日沼。真ん中に悲劇のヒロイン「弥生像」が立つ。

(写真左:八ツ沼城入口、空堀)(写真右:八ツ沼城裏手の春日沼。真ん中に悲劇のヒロイン「弥生像」が立つ。)

朝日町の八ツ沼にはかつて八ツ沼城という城があった。八ツ沼城の発祥は南北朝時代に南朝の武将が若狭からこの地に移り築城したのが始まりというが、北朝方の山形城主斯波兼頼(最上氏の初代)によって滅ぼされる。戦国時代に敦賀城主の原美濃守が敗戦の後、当地に逃れて八ツ沼城に入ったという。八ツ沼城の東方に鳥屋ガ森城があり、城主の岸美作守義満には弥生姫という美しい娘がいた。八ツ沼の原美濃守と和合の但馬守秋広の二人が弥生姫に結婚を迫ったが岸美作守は娘を八ツ沼に嫁がせることにする。但馬守はこれを妨害するために山形城主最上義光に近づき、八ツ沼城と鳥屋ガ森城を攻略させた。こうして永禄八年(1565年)最上義光により八ツ沼城と鳥屋ガ森城は攻略された。義光は両城を置賜地方からの侵攻を防ぐ最前線として確保した。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いに伴う慶長出羽合戦では上杉景勝の重臣で米沢城の直江兼続が山形城の最上義光を攻め、別働隊が最上川沿いに北上して八ツ沼城、鳥屋ガ森城に攻めかかった。壮絶な戦いの末、関ヶ原で西軍本隊が敗れたことにより上杉軍も撤退して辛うじて城を守り抜くことができた。

結婚を妨害された弥生姫については次の伝説が残る。昔、八ツ沼の隣村に弥生姫という美しい姫がいた。村祭りに遊びにきた弥生姫は八ツ沼城の若君と出会い一目ぼれし、二人は恋仲になった。ところが先隣村の若君も弥生姫に想いを寄せ、弥生姫は二人から結婚を申し込まれる。弥生姫は八ツ沼城の若君に嫁ぐが、先隣村の若君はこれを奪取しようと兵を差し向けるが返り討ちに遭ってしまう。二人が夫婦になったことが我慢できない先隣村の若君は山形城主に「八ツ沼城主は山形城を不意討ちするつもりだ。」と嘘を密告し、山形城主に八ツ沼城を攻めさせた。山形城主の大軍を前に八ツ沼城は善戦するが多勢に無勢でついに落城した。若君と弥生姫は追い詰められて城の裏手の春日沼に身を投げてしまうが、二人は湖底で夫婦として暮らし、湖面に木の葉が浮かないのは弥生姫が毎朝未明に湖面をほうきできれいに掃くからだと伝えられている。