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| 赤湯温泉の北西、二色根の薬師寺は858年(天安二年)創建とされる。慈覚大師(円仁)がこの地で巨木の根元から出ている光を見つけ、掘り出すと淡い青と赤の二色の色を放つ石仏薬師如来が出たという。そして薬師如来を祭るようになった。その後、何時からとも無く二色根の地名になったという。薬師寺は一時、赤湯八幡宮と宮内熊野権現の別当となった。また薬師如来の霊夢により赤湯温泉が発見されたとの伝説から赤湯温泉の湯神として尊崇されたりもした。二色根は伊達家文書の伊達輝宗が訪れた際の歌では「にろね」と書かれている。丹色根と書く場合もあったらしい。 薬師寺の裏手にそびえる二色根山には伊達氏に仕えた粟野氏の城館、二色根城跡がある。粟野喜左衛門秀用は伊達政宗の弟、伊達小次郎の傅役を務めたが、政宗毒殺未遂事件で小次郎が兄政宗によって成敗され、秀用も伊達家を出奔した。その後、関白豊臣秀次の家臣となり、伊予松前十五万石の大名に出世した。だが秀次は養父である時の権力者太閤豊臣秀吉に実子が生まれたの機に疎まれ、遂に謀反の嫌疑をかけられて高野山で切腹させられる。その妻子は三条河原で惨殺され、家臣である秀用も事件に連座して1595年自害した。 二色根城址の麓には八世紀頃つくられたらしい二色根古墳群もあり古くから力ある豪族が支配していたのだろうか。 |