若松観音

最上三十三観音の第一番札所、若松観音。

(写真:最上三十三観音の第一番札所、若松観音。)

天童の東に鈴立山若松寺がある。ここの観音堂、若松観音は最上三十三観音の第一番札所に数えられている。和銅元年(708年)に行基がこの地に霊場を開創したという。その後も弘法大師空海の護摩を奉修したり、貞観二年には慈覚大師円仁も若松寺を訪れた。観音信仰は室町時代から盛んになり、1500年代から若松寺に「西国三十三所巡礼札」や「最上三十三度順礼」などの字が残されている。山形城主最上頼宗(最上家四代満家の子)の娘、光姫が夢の中で三十三観音の霊場を感じて巡礼したことから最上三十三観音巡礼が始まり、若松寺が第一番札所になったとの伝説がある。だが実は最上義光が政治的意図から本来吉祥院千手堂だった一番札所を若松寺に変えたという説もある。若松寺観音堂は最上義光により慶長年間大改修された。若松寺は江戸時代、三代将軍徳川家光からも御朱印領を安堵され、保護されて栄えた。若松観音は西の出雲大社と並び称される縁結びの観音で、山形を代表する民謡「花笠音頭」でも「めでためでたの若松様よ」と歌われている。