米沢と会津を結ぶ会津街道は米沢街道や檜原街道とも呼ばれ、米沢から船坂峠、綱木峠、檜原峠を越えてようやく福島県側会津裏磐梯の檜原に至る山越えの難所が多い街道であるが、戦国時代には伊達政宗の会津侵攻に用いられ、江戸時代も重要な交通路で様々な荷が運ばれ、三山参拝者や巡検使も行き来した。戊辰戦争でもこの峠が用いられた。
綱木宿は綱木峠と檜原峠の間に位置する宿場で、戦国時代には既にあったらしい。『邑鑑』によると戸数は五十五戸、寛政年間には宿屋が四軒だったという。しかし国道121号線大峠道路などの開通により綱木は衰えていった。
綱木から現在は林道となっている檜原峠(1094m)を越えて福島県側に降りると旧米沢(会津)街道檜原峠の別れ道を示す標がある。今は道も無いようである。さらに下ると会津藩主保科正之によって整備された「鷹の巣一里塚」がある。 |