総宮神社

総宮神社拝殿。手前は三の鳥居。鳥居の横に立つ杉の木が直江兼続によって植えられた「直江杉」。

(写真:総宮神社拝殿。手前は三の鳥居。鳥居の横に立つ杉の木が直江兼続によって植えられた「直江杉」。)

総宮神社は坂上田村麻呂が蝦夷を征服した際、日本武尊を追尊して赤崩山白鳥大明神を創建したことが始まりという。文禄2年米沢城主蒲生郷安により、下長井郷四十四か村の神社をこの神社に合祭され、下長井郷の総鎮守としたことから「総宮」というようになったという。また長井の旧名である「宮」という地名はこの神社からきているという。1598年蒲生氏に代わって上杉家の直江兼続が米沢城主となり、兼続は総宮神社を参拝して自ら境内に杉の木を植えた。現在も境内に何本か立っており「直江杉」と呼ばれて御神木になっている。兼続は最上義光との戦いに臨んで総宮神社で戦勝祈願を行っている。また兼続は刀剣も総宮神社に奉納している。後、天明年間に上杉鷹山は重臣竹俣当綱を工事監督として総宮神社本殿の改修を行っている。当時は天明の大飢饉で大変な時期だったが木材を寄付、工事費を長井郷の村々が拠出して行われたという。