白鷹山

白鷹山虚空蔵菩薩の鳥居。案内板には農業養蚕の神で上杉鷹山公が厚く信仰していたことが記される。

(写真:白鷹山虚空蔵菩薩の鳥居。案内板には農業養蚕の神で上杉鷹山公が厚く信仰していたことが記される。)

白鷹山の語源は奈良時代まで遡る。当時の高僧「行基」がこの地を訪れ、白い鷹が飛来するのを見ていると、光と紫雲の荘厳な光景が現れた。行基はこれを虚空蔵菩薩のお告げとして山頂に虚空蔵菩薩を祭り「白鷹山」と呼ばれるようになったという。白鷹山は農業・養蚕の神として祭られていたが、これを特に信仰したのが米沢藩主上杉鷹山(治憲)である。鷹山という号も白鷹山にあやかったものである。鷹山は藩財政の建て直しの一環として養蚕を奨励していた。この時、鷹山の尽力で置賜地方に養蚕が広まったことは、明治以降の置賜における製糸業の発展を支えた。養蚕を熱心に広め、藩財政を立て直した鷹山自身が人々にとって「白鷹山」の神の化身のような存在であった。白鷹では「治憲大権現」として祀ったり、また「大和大聖人上杉鷹山公」と唱えたりと真に神として敬われていたのであり、後に鷹山公を祭神として松岬神社に祀る背景になったと思われる。