白布温泉

トップのメインページに戻ります。

白布温泉の名物、萱葺きの旅館の一つ「西屋」。かつては左側に萱葺きの「中屋」「東屋」が隣接していたが2000年の火災により焼失してしまった。「東屋」の前にある直江兼続公鉄砲鍛造遺跡の碑
米沢市森林体験交流センター「白布・森の館」、日帰り温泉がある(入浴料395円)。白布温泉のさらに奥にある新高湯温泉
天元台の場所は春になると、そこだけ雪が残り上のような形になる。人々はこれを「白馬の騎士」と呼ぶ。
西吾妻スカイバレーの白布峠から望む檜原湖。

白布温泉の由来は正和年中、出羽国の佐藤宗純が諸国巡錫の際に発見したとも、関部落の猟師が白い斑のある大きい鷹が湯浴みをしているのを見つけ、白斑(しらふ)の鷹湯と命名し、のちに白布高湯となったともいわれている。この白布高湯は蔵王高湯(蔵王温泉)、信夫高湯(吾妻高湯温泉)とならぶ奥州三高湯の一つとされた。江戸時代になり、関ヶ原の戦いで敗れ、領地を米沢30万石に減らされた上杉家では、名宰相直江兼続の指導のもと米沢領内の開発を進め、一方で次の戦いにも備えて1604年(慶長9年)近江国友村や堺から鉄砲師を集め、森林と温泉があって、鉄砲造りに必要な木炭と硫黄が調達でき、山奥で密かに製造できる白布温泉に鉄砲工場をつくった。こうして整備された上杉鉄砲隊は「大坂の陣」の「鴫野の戦い」で大活躍している。天元台行きロープウェー乗り場に向かう途中の「白布・森の館」にはかつて「あずまユースホステル」が建っており、その建設で大量の木炭や鉱滓が見つかり、鉄砲鍛冶工場の跡と考えられている。この白布温泉の名物といえば「東屋」「中屋」「西屋」と三軒ならぶ萱葺きの旅館であった。だが2000年の火災で萱葺きの「中屋」「東屋」が失われ、今は「西屋」だけとなってしまった。火災は恐ろしいもので、人命、生活だけでなく、積み重ねてきた歴史も一挙に奪ってしまう。どうやら中屋は不動閣で営業し、東屋は再建の運びとなったようだが、消防法のからみで萱葺き屋根の建物を再建することはできない。実に勿体ないことであった。
白布温泉から急勾配を登ってゆくと「新高湯温泉」がある。その途中でロープウェーに乗るとスキーで知られる天元台である。天元台は残念ながら業績不振で今までの運営会社は無くなり、米沢市も働きかけて別会社が事業を継承することになった。何かと災難に見舞われた白布だが、是非これから頑張ってもらいたい。
白布温泉からは西吾妻スカイバレーが最上川源流大樽川の雄大な渓谷を登り、白布峠(1420m)を越えて福島県に入る。白布峠からは檜原湖も望むことができる。西吾妻スカイバレーは1958年に磐梯朝日国立公園の公園道路として開通し、1961年から県道となったが未整備の状態だった。1973年に改修が完成し、有料道路としての供用が始まった。2003年7月から有料道路の期限が切れ、現在は無料で通行できる。

 

上へ戻る