白布温泉

旅館「東屋」の前にある直江兼続公鉄砲鍛造遺跡の碑萱葺き旅館の「西屋」。かつて左側に萱葺きの「中屋」「東屋」が隣接していたが火災により焼失した。

(写真左:旅館「東屋」の前にある直江兼続公鉄砲鍛造遺跡の碑)

(写真右:萱葺旅館の「西屋」。かつて左側に萱葺きの「中屋」「東屋」が隣接していたが火災により焼失した。)

白布温泉(白布高湯)は正和年中、出羽国の佐藤宗純が諸国巡錫の際に発見したとも、関部落の猟師が白い斑のある大きい鷹が湯浴みをしているのを見つけ、白斑(しらふ)の鷹湯と命名したともいう。白布高湯は蔵王高湯(蔵王温泉)、信夫高湯(吾妻高湯温泉)とならぶ奥州三高湯の一つとされた。1604年(慶長9年)直江兼続は近江国友村や堺から鉄砲師を集め、森林と温泉があって鉄砲造りに必要な木炭と硫黄が調達でき、山奥で密かに製造できる白布温泉に鉄砲鍛造工場をつくった。兼続によって整備された上杉鉄砲隊は大坂の陣「鴫野の戦い」で敵を圧倒した。「白布・森の館」はかつて「あずまユースホステル」があり、その建設で大量の木炭や鉱滓が見つかり、鉄砲鍛冶工場の跡とされている。白布温泉といえば「東屋」「中屋」「西屋」と三軒ならぶ萱葺きの旅館が有名だったが2000年の火災で「中屋」「東屋」が消失し、萱葺きは「西屋」だけとなった。