瀬見温泉

武蔵坊弁慶が義経の北の方のため、産湯を探し求めて見つけたという瀬見温泉。源義経の北の方が亀割峠で亀若丸を出産したことに由来する子授け、安産の亀割観音。

(写真左:武蔵坊弁慶が義経の北の方のため、産湯を探し求めて見つけたという瀬見温泉。)

(写真右:源義経の北の方が亀割峠で亀若丸を出産したことに由来する子授け、安産の亀割観音。)

兄源頼朝の追手から逃れて奥州平泉へ向かう源義経一行は庄内から最上川を遡り、本合海に上陸した。途中、舟形の一ノ関の存在を知り、これを避けて鳥越から休場を経て亀割峠を越えて瀬見に出ようとした。だが亀割峠で義経の妻、北の方が産気づいたため亀割山中の観音堂で休み、武蔵坊弁慶が産湯を求めて沢を下り、浅瀬を見て川を渡り(瀬見の地名由来)、煙の立上る大岩を薙刀で突くと湯が噴き出た。山中で生まれた義経の子は亀若丸と名付けられ、この湯を産湯とした。一行は数日、この地で養生してから再び平泉へ向かったという。これが瀬見温泉の発祥である。亀割観音もこの由来で子授け、安産の神として深く信仰されるようになった。