関山峠

天童と仙台を結び国道48号線の関山トンネル。

(写真:天童と仙台を結び国道48号線の関山トンネル。)

仙台から広瀬川沿いに遡り、作並から関山峠(標高650m)を越えて天童に至る関山街道は同様に仙台から山形に向かう笹谷峠(標高906m)や二口峠(標高934m)に比べて標高が低いものの山が道を遮る様にそびえ、難所であったため間道として利用された。戦国時代には最上義光に敗れた天童城主天童頼久が仙台に落ち延びる際に天童氏の守り神喜太郎稲荷の導きで無事に関山峠を越えたという。江戸時代になり万治二年(1659年)関山街道と峠が改修された。関山峠が重要性を増すのは明治に入ってからである。明治十三年(1882年)仙台野蒜港開港に合わせて山形〜仙台間を結ぶため山形県令三島通庸の命により関山トンネル開削工事が始まった。しかし完成間近の明治十五年七月工事人夫のたばこが火薬に引火して爆発事故が発生。二十二人が即死した。関山トンネルは明治十五年八月完成した。この関山トンネルは標高594mのところに掘られた長さ284mのトンネルで一日一万貫の貨物と一日千人を超える通行人で賑わった。だが奥羽本線開通により一時衰退した。ところが自動車輸送が盛んになると関山街道は復活。昭和十二年にはトンネルを改修した。それでも難所であったことに変わりはなく、事故も相次いだ。そのため昭和四十三年に標高531mのところに長さ890mの新しい関山トンネルを開通させ、国道48号線の改修を行って現在の姿となった。なお関山トンネルでは心霊現象の話がよく出るが事故の相次いだ旧トンネルの時代に転落死亡事故が発生したことなどからきているらしい。