笹谷峠

笹谷峠から見下ろした山形側有耶無耶の関跡

(写真左:笹谷峠から見下ろした山形側)(写真右:有耶無耶の関跡)

奥羽山脈の鞍部を越える笹谷峠は標高906mと二井宿峠など他の奥羽山脈越えの峠に比べて高いが、笹谷街道は羽州街道成立以前においては最も重要な奥羽山脈越えルートで出羽国の設置以来利用されてきた。古くは延喜式において927年に官道に指定されている。峠の南には八丁平という緩斜面が広がり、笹薮の中に関所「有耶無耶関跡」がある。山形〜仙台間の最短ルートであるため、大いに賑わったが、明治十五年に関山峠が改修されると物流がそちらに移り、利用者は激減した。笹谷峠も改修を行い馬車が通れるようになるが、明治三十四年の奥羽本線開通で完全に寂れた。しかし昭和四十五年国道に昇格し、昭和五十六年笹谷トンネルが開通したことによって笹谷街道は山形〜仙台間の最短ルートとして復活し、大いに利用されるようになった。さらに高速道路の開通により、笹谷トンネル経由で山形〜仙台間は一時間となり、バスも運行されて通勤圏となっている。トンネルの開通で峠の利用者は多くはないが、休みになると美しい風景目当てに宮城・山形両県から観光客が訪れている。だが笹谷峠は冬になると厳寒と吹雪の中の峠越えとなるため、古くから遭難者が相次ぎ、そのためか八丁平には三界萬霊碑や六地蔵など犠牲者の霊を慰める史跡が多い。