山形交通三山線

三山線の起点だった左沢線の羽前高松駅。寒河江市陵西中の西側にある三山広場のレール跡。

写真左:三山線の起点だった左沢線の羽前高松駅。)(写真右:寒河江市陵西中の西側にある三山広場のレール跡。)

寒河江市白岩の白岩駅跡の碑。西川町睦合の月山酒蔵資料館に保存されている電車

(写真左:寒河江市白岩の白岩駅跡の碑。)(写真右:西川町睦合の月山酒蔵資料館に保存されている電車)

三山線の廃線跡。今は自転車道に。かつての終点、間沢駅跡地はバス乗り場に。

(写真左:三山線の廃線跡。今は自転車道に。)(写真右:かつての終点、間沢駅跡地はバス乗り場に。)

寒河江から柴橋に直進する予定だった左沢線は地元出身の議員工藤八之助らの尽力で羽前高松へと迂回した。一方、谷地軌道の白岩延伸計画は失敗に終わり、その後谷地軌道は廃止になった。こうした状況で羽前高松を起点として白岩を経由して間沢に至る三山電気鉄道が工藤三九郎らにより大正15年12月23日開業した(羽前高松〜海味)。昭和3年には間沢まで延長された。この時期、大正15年度の山形県議会の意見書では鶴岡〜羽前高松間が敷設要望路線として登場している。果たして三山電気鉄道の開業を見越して延長をする目的だったのかどうか。それまで、県議会では鶴岡〜大鳥鉱山間の敷設要望があったが、その代わりに鶴岡〜羽前高松が登場したのである。鶴岡側でも、昭和2年には庄内電気鉄道(のち庄内交通)が鶴岡〜山添間の免許を取得している。この鶴岡〜羽前高松線は山形市と庄内地方を結ぶ、最短ルートになっていただろうが実現はしなかった。昭和18年に戦時特例による合併で山形交通と改称し、高畠鉄道、尾花沢鉄道を合併した。三山線は昭和39年をピークとして業績は下降線をたどる。そして、ついに昭和49年11月18日をもって廃止となった。なお西川町睦合の月山酒蔵資料館には三山線の電車と資料館がある。また寒河江市陵西中の西にはレールなどが残る三山広場がある。
参考文献『鉄道未成線を歩く私鉄編』(JTB)『鉄道廃線跡を歩くW』(JTB)『とうほく廃線紀行』(無明舎出版)『山形県議会八十年史 大正篇』