三宝寺

織田家菩提寺の三宝寺。山門には桐の御紋が光り輝く。織田家御霊屋の仰徳殿。宣教師が描いた織田信長に最も似ているという肖像画が掲額されている。

(写真左:織田家菩提寺の三宝寺。山門には桐の御紋が光り輝く。)

(写真右:織田家御霊屋の仰徳殿。宣教師が描いた織田信長に最も似ているという肖像画が掲額されている。)

仰徳殿に掲げられている織田信長の肖像画。当時の宣教師が描いたとされ、最も信長に似ていると言われる。(旧東村山郡役所資料館パンフレットより)

(写真:仰徳殿に掲げられている織田信長の肖像画。当時の宣教師が描いたとされ、最も信長に似ていると言われる。)

(旧東村山郡役所資料館パンフレットより)

三宝寺は天保元年(1830年)天童藩主織田家の菩提寺を申し付けられた。織田家十代織田信美は高畠から天童に移る際、戦国時代に城があった舞鶴山ではなく城下の田鶴町に陣屋を築いた。その陣屋は南は三宝寺から北は善行寺までの間に南北450m、東西500mの大きさで造られたという。三宝寺の織田家御霊屋「仰徳殿」には織田信長から代々の位牌などが安置され、織田信長の肖像画も掲額されている。この織田信長の肖像画は当時の宣教師が描いたものとして信長に最も似ているとされる肖像画である。