砂越城

砂越城址は公園になっている砂越城跡本丸公園内には戦国の桔橋や櫓が復元されている

(写真左:砂越城址は公園になっている)(写真右:砂越城跡本丸公園内には戦国の桔橋や櫓が復元されている)

砂越城は平田町砂越に築かれた平城である。南北朝時代に赤松氏の一族石黒某がこの地に築城したという。一方、砂越氏は武藤氏の庶族ともされるがはっきりせず、源頼朝の命で飽海郡を統治した郡司だったという。当初は八幡にいたが、後にこの砂越城に移ったらしい。砂越氏は最上川以北の有力豪族として最上川以南を支配する大宝寺(鶴岡)の武藤氏と激しく争った。1478年には幕府から信濃守を受領している。砂越城は1513年武藤澄氏の攻撃で落城し、以後武藤氏の一族が入ったともいうが、砂越氏は再興されたようで1532年に砂越氏維が武藤氏を攻めてその本拠大宝寺を焼き払った。武藤氏はこれが原因で居城を大宝寺城から尾浦城に移した。砂越氏はその後、武藤氏に臣従したり離反したりを繰り返したが、天正の頃は最上義光に通じて武藤(大宝寺)氏と敵対した。だが十五里ヶ原の戦いで最上方が敗れて庄内が本荘繁長の支配下になった後は当地を離れたという。