瀧山

三百坊の鳥居西行法師の歌碑

(写真左:三百坊の鳥居)(写真右:西行法師の歌碑)

大山桜の咲く西蔵王放牧場と瀧山西行法師も詠んだ西蔵王の大山桜

(写真左:大山桜の咲く西蔵王放牧場と瀧山)(写真右:西行法師も詠んだ西蔵王の大山桜)

日本最古の石鳥居ともいわれる山形の「御立の鳥居」

(写真:日本最古の石鳥居ともいわれる山形の「御立の鳥居」)

西蔵王は古くから信仰の地とされ、麓の岩波は和銅元年、行基によって開山されたという。西蔵王高原にそびえる瀧山(りゅうざん)は霊山とも称し、慈覚大師によって仁寿元年(851年)に開山したという。山頂に瀧山大権現をまつったが、不便なため山頂より下に寺を置いたという。最盛期には三百もの宿坊があったことから三百坊と呼ばれていたらしい。「北の叡山」と呼ばれるほど繁栄したが、1258年禅宗を奨励し、天台宗を目の敵にする鎌倉幕府執権北条時頼の命により瀧山は閉山された。瀧山には「大山桜」という桜が咲いている。平安後期の歌人西行法師も1188年瀧山を訪れ、大山桜について歌を詠んでいる。

『たぐひなき おもひいではのさくらかな うすくれなゐのはなのにほひは』

山形市内の「元木の石鳥居(御立の鳥居)」は天延年間に瀧山大権現へ奉納したもので、瀧山の登山口であったという。また最上三鳥居の一つで日本最古石鳥居でもあり、重要文化財に指定されている。この鳥居は左側の袖が無い不思議な形で、次のような伝説がある。

一つには天邪鬼が一夜で造ったが、一番鳥が鳴いたため中途半端で立ち去り、こんな形になったという伝説。もう一つの伝説はこの鳥居の主の龍が夜になると鳥居にからみつき、龍の赤い眼と合うと熱病にかかり死ぬ者もいたところ、和尚が龍は霊だから首を落とせば消えると教え、侍が龍退治をしたという伝説である。首以外に斬りつけても龍はすぐ再生するため侍は苦戦したが、砂を投げつけて龍が眼をつぶった瞬間、龍の首に斬りつけて龍の首を斬り落すと石鳥居の端が落ち、以来龍が現れなくなったという。