鳥海月山両所宮

鳥海月山両所宮両所宮随神門

(写真左:鳥海月山両所宮)(写真右:両所宮随神門)

鳥海月山両所宮は鳥海山の神霊大物忌神と月山神を合わせ祀った神社である。前九年の役で源頼義、源義家父子は飽海郡吹浦の両所神社にて鳥海、月山の両神に戦勝祈願をし、戦に勝利したので誓願を守って康平六年(1063年)最上郡最上郷金井荘山形に鳥海月山両所宮を建立した。承安年間に源義経が金売り吉次に命じて社殿を改築させたとも伝えられる。両所宮は吉事宮ともいわれる。1574年天正最上の乱が勃発し、最上義光は家督相続を巡る争いの末に隠居した父義守に恨まれ、義守とこれに組する天童氏など最上一族、さらに妹義姫が嫁いだ伊達輝宗から攻められた。義光は何とか和議に持ち込んだが、兄義光に代わって家督相続を望んだ義守の次男中野義時が宝光院と吉事宮(両所宮)と組んで義光調伏の呪詛を行った。この事件で義時は切腹、宝光院は追放、吉事宮の神職は銀山に追放された上に軽井沢越で殺され、両所宮は新たに成就院を別当とした。ただし義時は実在しなかったとする説も有力でこの辺りの経緯は研究が待たれる。両所宮本殿は最上義光によって修理されたが、寛永年間に焼失し、享保年間に再建された。山門は天明三年建立で随神門という。代々の山形城主や領民の信仰があつく、戦時にもその霊験によって山形の町を戦火から守ったとされる。