大宮子易両神社・小国城

  小国町内  
国道113号

国道113号
越後街道   越後街道

最寄駅「小国」

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大宮子易両神社新潟県関川村金丸で発見された男石「金丸太郎」と小国町種沢で発見された女石の「種沢花子」。安産、子育て、子授けの神社に相応しいモノ。
沖庭神社に登る途中から見下ろした小国。小国では5月の連休中「石楠花まつり」が催される。
朴ノ木峠から玉川、足野水方面を眺める朴ノ木峠から小国方向を見下ろす。

山深く周囲から隔てられた感のある小国だが、歴史は古く小国駅の北西に712年創始という大宮子易両神社がある。特に安産・子育て・子授けの神として信仰されており、近年小国近辺で男根石と女陰石が見つかり、この神社境内の和合寝殿に納められている。
大宮子易両神社の西、小渡から荒川を渡って小国と越後の境にそびえる沖庭山の山頂に登ると沖庭神社がある。こちらは7世紀ごろ大和朝廷の東北経営のために置かれたという。戦国時代に伊達氏が大里峠を開削して越後街道ができるまでは小渡から沖庭山を越えて越後金丸に出て荒川沿いに下る街道が使われていた。
小国城は奥州藤原氏の一族樋爪俊衡が平安時代に築いたのが始まりとされる。同じく一族の樋爪季衡が高畠城を築いているが、小国は高畠と並んで奥州藤原氏の置賜における重要な拠点であったものか。伊達氏が置賜を支配するようになると小国は上郡山氏の所領となり、蒲生氏郷が入部すると佐久間盛次、上杉景勝が入部すると松本助義が小国に居城した。江戸時代にも御役屋が置かれ、米沢藩の重要な出先機関であった。
越後街道は小坂町の温泉健康館ゆ〜ゆ付近から「健康の森横根」の方向へ山を登ってゆき、十三峠の一つ「朴ノ木峠」に至る。この朴ノ木峠は眺望が良く、林道も整備されているため車で行くことができる。峠を越えると足野水の集落に一旦下り、さらに街道は萱野峠を越えて玉川の集落へと向った。萱野峠は割合に平坦な尾根を越えるが現在は全く使われないため、道がどこにあるのかも分からなくなっているらしい。現在の県道は足野水から川沿いに進み、玉川の北にある玉川新田に出る。
(参考)「十三峠」
かつて置賜から越後へ向う街道を越後街道と呼んだ(越後では米沢街道と呼んだ)。現在の国道113号線のルートは明治になって鬼県令三島通庸が1885年に整備した「小国新道」で、江戸時代は米沢を出発して小松(川西町)‐松原‐手ノ子(飯豊町)‐沼沢‐白子沢‐市野々‐黒沢‐小国‐足野水‐玉川(小国町)と経て、越後国(新潟県)に至る街道であった。この街道は峠が多く、まとめて十三峠と呼ばれていた。現在は道路改良などで十三峠のうち、小さな峠は確認できなくなっている。

 

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