雄勝峠

雄勝トンネル。抜けると秋田県に入る。。チェーンで封鎖されている。

(写真左:雄勝トンネル)(写真右:雄勝峠旧トンネルへの道)

山形と秋田を結ぶ街道は八世紀の大野東人の東征以来、金山から神室山に向かい、黒森と水晶森の間の有屋峠を越えて雄勝郡に向かっていた。戦国時代に山形の最上義光と横手の小野寺義道が戦ったのも有屋峠である。有屋峠は難所であったため慶長七年(1602年)秋田に入部した佐竹義宣は参勤交代や流通の利便性を高めようと街道の整備・峠の開削に尽力し、標高の低い雄勝峠などを越える道を羽州街道とした。羽州街道は参勤交代や物資の輸送で大いに栄えた。雄勝峠は杉峠ともいわれ、真室川町及位と秋田県雄勝町院内を結ぶ。雄勝峠には院内に関所、及位に番所が置かれた。山形県令三島通庸によって雄勝新道が開かれ、昭和三十年にはトンネルが開通し、さらに昭和五十六年現在のトンネルが開通した。及位(のぞき)という地名は雄勝峠の西にそびえる甑山で修験者が命綱を使って逆さづりで穴に降り、穴の中の観音様をのぞくことで位を授けられたことから「位に及ぶ」と書いて「のぞき」と読ませるようになったのだという。