庭月観音

庭月観音

(写真:庭月観音)

庭月観音は最上三十三番札所の三十三番目、打ち止めの札所である。かつて近江国鯰江の佐々木氏が故あって仙北にくだり、小野寺氏のもとに身を寄せ、その客将として最上郡に入り、鮭延(真室)城(真室川町)に居を定め、鮭延氏を称した。一族で家臣の庭月理右衛門広綱は鮭延氏が近江から持ってきた本尊の観音様を広く人々に礼拝させるように進言した。こうして庭月観音が創られたという。鮭延氏が最上義光に攻められた際、庭月広綱が最上義光に寝返ったため鮭延秀綱も降伏せざるを得なくなったという。だが、鮭延秀綱は最上家中で頭角をあらわし、最上義光の庄内攻略や長谷堂合戦で活躍した。庭月氏も引き続き鮭延氏に仕えたという。元和八年(1622年)最上氏改易で鮭延一族もこの地を去ると庭月観音も荒廃したが、新たに新庄藩主となった戸沢氏に陳情して再建されたという。