錦堂薬師

錦堂薬師の霊泉が参道右側に湧き出ている。結構急な参道を登ったところにあるお堂。

(写真左:錦堂薬師の霊泉が参道右側に湧き出ている。)(写真右:結構急な参道を登ったところにあるお堂。)

米沢の赤崩に普門院が管理する「コロリ薬師」がある。錦堂(錦戸)薬師堂ともいう。ここの「澄心の泉」「瑠璃光の清水」と呼ばれる霊泉は「臨終正念」ということで、飲むと「ころり」と苦しまずに亡くなるという水とされる。ミネラル豊富な霊泉とあって、ペットボトルやポリタンクで水を汲みに来る方が多い。横には「この水を商売に利用したら子々孫々七代に祟りがある」と書いてある。

錦堂の由来は大ムカデ退治や平将門討伐を行なった俵藤太こと藤原秀郷が戦勝に際し、下野国(栃木県)薬師寺から遷座、守本尊にしたのが始まりという。それを藤原秀郷の子孫にあたる奥州藤原氏の藤原泰衡が1188年に源頼朝に征伐された時、藤原秀衡の六男錦戸太郎頼衡が輿に奉安して伊達領から吾妻山鳥越を経由して、ここに祭るようになったとされる。異説として藤原秀衡の長男西木戸(錦戸)太郎国衡が阿津賀志山の戦い(福島県国見町)で源頼朝に敗れ、守本尊の薬師像を僧に託し、僧がこの地に庵を結んだともいう。頼衡非実在説や国衡と同一人物説もあるようだがいずれにしても奥州藤原氏との関わりを示す伝承が残されている。