二井宿峠

  柏木峠  
高畠町内

二井宿峠
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草木に埋もれた山形交通高畠線二井宿駅ホーム跡。伊達軍と上杉軍の決戦の舞台、玉ノ木原古戦場。旧国道113号線と新国道が合流した先にある。
一の坂刑場跡の入口大滝不動尊入口。旧国道113号線の途中にある。
廃止された山形交通高畠線(高畠鉄道)の終着駅は二井宿であった。この先には宮城県境をなす二井宿峠が待ち受けている。だが二井宿峠は険しい奥羽山脈を越える峠の中では比較的低く緩やかであったため、古くから置賜の入口として用いられ、伊達氏が置賜攻略した際も二井宿峠を越えている。また置賜地方では特に高畠町において縄文時代の遺跡や古墳が多く見られ、文化の流入も二井宿峠からだったと見られている。また奥羽本線の計画も当初はスイッチバックの難所板谷峠を避けて白石から二井宿峠を越えて置賜地方に入る予定であった。
この二井宿峠の麓、大滝川の近くに一の坂刑場の跡がある。この刑場は幕府代官所に米沢藩の圧政を訴えた義民高梨利右衛門が処刑された場所である。後に亀岡文殊に高梨の供養塔が建てられている。鬱そうたる森の中の処刑場はいささか気味が悪くもある。二井宿峠を登ってゆくと道路の途中に大滝不動尊がある。ここは二井宿不動、屋代不動ともいわれ、鎌倉時代末期に日本三大不動尊の一つ、新潟県北蒲原郡の菅谷不動尊から分霊奉安したという。天保年間に焼失したが再建された。伊達藩、上杉藩(天領、織田藩支配の時期あり)の国境であったため、情報交換の場となったり戦略上の要地であるため堂の上に館が置かれ、武士が駐屯していたりした。江戸時代には仙台伊達藩の領地は峠を数百m越えて高畠側に入り込んでおり「伊達の無理境」と呼ばれていた。これは関ヶ原の戦いで東軍の伊達政宗が西軍の上杉景勝を攻めた際、この二井宿峠からも攻め込み、以来攻め取った数百mが伊達の領地になったという。
宮城県七ヶ宿町に入り、峠を登りきった先に草の生い茂る原っぱが広がる。ここが関ヶ原の戦いに際して伊達軍と上杉軍が戦った玉ノ木原古戦場である。ここはかつて九代伊達政宗(儀山公)が置賜の地頭で米沢城主長井道広を攻略するため城館を置いた場所でもある。伊達政宗軍と上杉景勝軍の合戦では地元の武士達は九代目の政宗以来のつながりで独眼龍伊達政宗に味方し、上杉軍を相手に奮戦したという。

 

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