長瀞城

長瀞城址。別名を雁城といい、江戸時代は米津氏の陣屋が置かれた。長瀞城址を囲む堀。

(写真左:長瀞城址。別名を雁城といい、江戸時代は米津氏の陣屋が置かれた。)(写真右:長瀞城址を囲む堀。)

長瀞城は建長年間に西根氏によって創建されたという。その後、最上氏四代の最上満家が長瀞城に隠居した。戦国時代は天童氏に属し、最上義光が天童氏を滅ぼすと郡代を派遣して長瀞を治めた。また最上義光の弟が長瀞義保と称して一時、長瀞城に居城したともいう。最上氏改易後は代官陣屋が置かれた。徳川吉宗の享保の改革に際しては土地の質入をめぐる騒動が発生し、長瀞一揆となった。寛政十年(1798年)米津通政が武蔵国久喜(埼玉県)から長瀞に移封され、長瀞城に陣屋を置いた。明治二年(1869年)米津氏は転封され、明治以後は土塁が崩され、城址の宅地化が進んでいった。