森合峠

森合峠の田山花袋の歌碑。森合峠にある田山花袋の文「金山の一夜」を記した碑。

(写真左:森合峠の田山花袋の歌碑。)(写真右:森合峠にある田山花袋の文「金山の一夜」を記した碑。)

金山にある森合峠は有屋峠の廃止により、江戸初期に秋田の大名佐竹義宣により羽州街道として整備され、秋田の佐竹侯など諸大名が参勤交代の際にこの峠を越えていった。明治十一年には『日本奥地紀行』の作者でイギリス人女性旅行家イザベラ=バードもこの峠を越えて北へと向かっている。明治十三年には山形県内の道路整備を強力に推進した「鬼県令」三島通庸が羽州街道を大改修し、翌年には明治天皇が行幸している。また文人田山花袋も金山に宿泊し、この峠を越えていて峠には歌碑が残されている。多くの人々が越えた峠だが昭和三十三年に新しい国道が完成すると廃道となり荒廃した。しかし昭和五十六年に林道として再び整備されて現在はかつての道をたどることができる。