伊達政宗の墓

伊達大膳太夫政宗夫妻(9代儀山公)の墓

(写真:伊達大膳太夫政宗夫妻(9代儀山公)の墓)

伊達氏中興の祖とされる伊達政宗(儀山公)夫妻の墓が高畠町野手倉に残されている。南北朝時代の1380年、父の伊達宗遠とともに置賜に侵攻し、1385年長井氏を滅ぼして置賜を手中に納めた。1402年高畑城に移り、1405年高畑城で亡くなったいう。これ以降高畑城が置賜での拠点となった。また七ヶ宿町湯原の東光寺が菩提寺でこちらにも墓がある。夏刈の資福寺跡にも政宗の墓とされるものがあり、あちこちに墓がある。のちに独眼龍と呼ばれた伊達政宗(貞山公)の名前はこの儀山政宗からとったもので、伊達氏中興の祖として伝説的存在だったのかも知れない。政宗は文武両道、和歌を嗜み、妻は足利義満の義理の妹(紀氏)であった。1400年鎌倉公方と対立し、公方の命を受けた上杉禅秀の軍に攻められた。1402年には大江氏、白鳥氏など出羽の諸豪族と戦っている。