伊達政宗の墓

ぶどう松茸ライン

高畠町内  
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伊達大膳太夫政宗夫妻(9代儀山公)の墓

赤湯温泉から白龍湖周辺の湿地帯「大谷地」を横切り東へ向かう道路は「ぶどう松茸ライン」と呼ばれ、ぶどうや松茸の産地を通り抜けて米沢市東部に至る。大谷地の中に湧き出る湯沼温泉のほど近く、高畠町に入ってすぐの時沢地区の南、野手倉というところにひっそりと伊達政宗(伊達家九代目、儀山公)夫妻のお墓がある。南北朝時代の1380年、父の伊達宗遠とともに置賜に侵攻し、長井氏を滅ぼして置賜を手中に納めた。1402年に高畑城に移り、その三年後高畑城で亡くなった。文武両道、和歌を嗜み、伊達家中興の祖とされ、妻は足利義満の義理の妹であった。だが鎌倉公方の一族と対立し、公方の命を受けた上杉禅秀の軍に攻められたこともある。当時、足利氏内部でも京都の将軍家と鎌倉公方は対立しており、伊達政宗が鎌倉公方に対抗するようになったのはそんな背景があったかららしい。伊達氏が置賜に根拠地を置くようになった最初の人物であり、後に大活躍する独眼龍こと伊達政宗も儀山公の政宗から取ったといわれる。近くには縄文時代遺跡「日向洞窟」などがある。

 

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