黒滝

船の難所であった黒滝付近の最上川。黒滝橋のそばにある「つぶて石」。

(写真左:船の難所であった黒滝付近の最上川。)(写真右:黒滝橋のそばにある「つぶて石」。)

最上川は江戸時代重要な輸送ルートであった。河村瑞賢によって西廻り航路が開発され、酒田から日本海経由でのルートが確立すると、上杉家の上方御用商人西村久左衛門は最上川水運を利用することを思い立ち、開発を行った。特に五百川渓谷の南端、白鷹町黒滝には船の航行の障害となる岩盤があり、西村は私財一万七千両を投じて黒滝開削に着手し、1694年遂に工事が完成して船の航行が可能となった。以来米沢藩の米や産物は船で最上川を下り、酒田から上方や江戸に運ばれるようになったのである。
黒滝橋のすぐ下流には川の中に「つぶて石」という巨石がある。この石には鎌倉時代初め頃、剛勇の坂東武者朝比奈三郎義秀が朝日岳から左手で石を投げたらこの河原に落ちたという伝説がある。朝比奈は次に右手で投げたら白鷹山を飛び越えてさらに遠くの山形市礫石に落ちたと伝えられる。つぶて石は一度、最上川深くに沈んでしまったが、近年有志達の手により引き揚げられて元の佇まいを取り戻したという。