栗川稲荷

栗橋と利根川に由来する栗川稲荷。鳥居が延々と続いている。

(写真左:栗橋と利根川に由来する栗川稲荷。)(写真右:鳥居が延々と続いている。)

栗川稲荷の稲荷はもともと藤井松平氏が治めた備中庭瀬の城中の守護神だった。藤井松平氏が上山にお国替えとなり、稲荷の御神体も一緒に上山へと向かうことになった。藩主松平信通一行は利根川に面した栗橋(埼玉県)で一泊することになった。その夜、藩主信通の枕元に白髪の老人が現れ、「吾は汝の家に祀られし稲荷神である。この利根川を必ず夜明け前に渡らざれば悔ゆることあるべし。」と告げた。信通は家臣を起こして夜のうちに利根川を渡ると、その後豪雨によって利根川は氾濫し、大惨事となった。この霊験に感じ入った信通は上山城内に稲荷を建て栗橋の栗と利根川の川から「栗川稲荷大明神」と名付けて深く信仰した。明治になり松平家が東京に移って城内の稲荷が荒廃したため、十日町の清水屋が松平家に願い出てこの地に移したという。