光禅寺

光禅寺の入口。最上家の家紋「二引両」が大きく描かれている。光禅寺境内の最上義光公の墓

(写真左:光禅寺の入口。最上家の家紋「二引両」が大きく描かれている。)(写真右:光禅寺境内の最上義光公の墓)

光禅寺は慶長七年(1602年)山形城主最上義光が開創した寺で元は慶長寺と称したが元和年間、最上家親の時代に光禅寺と改称した。当初、光禅寺は山形随一の繁華街七日町にあった。しかし、義光の跡を継いだ家親の急死で幼い義俊が継ぐと御家騒動が起き、最上氏は改易され近江国大森に減封となった。磐城の平から来た新領主鳥居忠政は磐城から長源寺を移して光禅寺の場所に置いたため、光禅寺は現在地に移り、一緒に門前の三日町もこの地に移ったという。光禅寺には最上義光、家親、義俊の最上家三代の藩主の墓がある。