小桜城

小桜城址(宮村館)の案内板。

(写真:小桜城址(宮村館)の案内板。)

戦国時代には現在の長井市大町にある小桜城に伊達家臣の片倉氏が拠った。小桜城は後世の命名で当時は宮村館と呼ばれた。かつて長井は北は宮と呼ばれていた(南は小出)。小桜城は伝説では安倍貞任の娘、卯の花姫が源義家と戦う際に築いたもので「卯の花館」と呼ばれていたとも言う。伊達稙宗・晴宗父子の争いが発端となった天文の乱(1542年)では小桜城主片倉伊賀守が晴宗側につき、一族を率いて鮎貝氏・最上氏連合軍の南下を蚕桑まで押し返した。これが置賜地方での晴宗の勝利につながった。戦後、小桜城には片倉小十郎景綱の伯父とされる片倉意休斎景親が入り、伊達政宗の岩出山移封まで続いたとされる。小桜城は天正十五年に鮎貝宗信が山形の最上義光に内通した際も鮎貝討伐の拠点となった。小桜城は蒲生氏の時代に廃城になっている。